毎年Octane UKが主催し、2018年で8回目を迎えたHistoric Motoring Awardその年のクラシックカーマーケットを牽引してきた立役者に敬意を表し、表彰する章典である今年の表彰セレモニーは1025日にロンドンで開催され、20部門の賞が発表された。その年のクラシックカーマーケットを牽引してきた立役者に敬意を表し、表彰する章典である。これらは、審査員と一般からの投票によって決められた、今年の授賞者たちだ。




ロバート・コウチャー

オクタン・インターナショナル エディター
「今年で8回目を迎えるヒストリック・モータリング・アワーズでは、ノミネートされたひとたちの努力によって、活力のあるものとなっているクラシックカーマーケットを祝います。すべてのひとが古い車と関わるシーンで大きな貢献をしており、今年から審査員に加わったひとたちも含め、多くのノミネートから選ぶことは非常に難しいことであったでしょう。しかし、選ばれた結果については背景なども含め、授賞にふさわしいとみなさんに納得してもらえると確信しています。そして、カーオブザイヤーはオクタン読者によって決められたものです。この結果は、驚きでもあり光栄でもありました。パフォーマンスカーを授賞した1台は、喜ばしく、わたしたちがいつも考えていた「結局、大事なのはドライブでの乗り心地」ということを証明してくれたものでもありました」

ロバート・クロフトン
EFG プライベートバンク・リミテッド ディレクター
「EFGは長い間、ヒストリック・モータリング・アワーズとパートナーの関係にあります。たくさんのクライアントが持つモータリングへ熱い想いを共有し、世界中でおこなわれているイベントのサポートもしています。今年もまた、ヒストリック・モータリング・アワーズを執り行うメンバーに加わることができ光栄に思います。リストにあるみなさん、ヒストリック・モータリングシーンをこの1年間支えたみなさんに、祝福を贈ります」
EFGインターナショナルは、プライベートバンキングとマネージメントサービスをおこなうグローバルバンキングである。本社はチューリッヒにあり、世界では約40か所の拠点を持っている。
Efginternational.com


ジャッジングパネル
オクタン読者からのカ―オブザイヤー投票と、豊富な経験を持つエキスパートたちによる
18のカテゴリーへの公平な投票が実施された。すべての審査はプライベートでおこなわれ、投票が終わるまで用紙は封じられることが原則だ。

Dreck Bell(5度のル・マン優勝。オクタン コラムニストを務める)、Yan-Alexandre Damasiewiz(オクタン フランス編集長)、Berthold Dorrich(オクタン ドイツ編集長)、Tony Dron(元レーシングドライバー、現モータージャーナリスト)、James Elliott(オクタンUK編集長)、Gregor Fisken(フィスケン株式会社 CEO、ヒストリックカーレーサー)、Mckeel Hagerty(ハガティグループCEO、クラシックカー保険スペシャリスト)、Yuki Hayashi(大里研究所代表、車コレクター)、Shiro Horie(オクタン日本版編集長)、Ben Horton(ホートンブックス経営者、モーター文学エキスパート)、Jeremy Jackson-Sytner(コンクールエキスパート、クラシックカーコンサルタント)、Jay Leno(車コレクター、アナウンサー、オクタンコラムニスト)、Corrado Lopresto(車コレクター、コンクール受賞常連、建築家)、Madan Mohan
実業家、コンクール・イベントオーガナイザー)、Peter Neumark(車コレクター、ビジネスマン、チャリティー設立者)、Adolofo Orsi(マセラティコレクター、コンクールスペシャリスト、コラムニスト)Patrick Peter(ツアーオートやル・マンクラシックなどのイベントオーガナイザー)、Stuart QuickクイックフィットSBSオーナー、クラシックカーシートベルトスペシャリスト)、Ton Roks(オクタン オランダエディター)、Murray Smith(車コレクター、イベントオーガナイザー)、Peter Stevens(マクラーレン F1なども手がけたカーデザイナー)、David Whale(ブリティッシュ・ヒストリック・ビークル・クラブ組合会長)



クラブ部門
タルボット・オーナーズ・クラブ

昨年、TOCメンバーは22%増えた。クラブ誌の刷新と、ブライトンランの前日におこなれたリージェント・モーター・ショーでの印象的なディスプレイがされた。2つのイベントで通して、メンバーのコミュニケーションが向上し。新しく開設されたウェブサイトでは、歴代タルボットモデルのデータベースと350ページにも及ぶテクニカルマニュアルが公開されている。

ブック or フィルム部門
Gaston Grummer: The Art of Carrosserie by Philippe Grummer and Laurent Friry, Dalton Watson

グルマーは、戦時中に父親がパリでコーチビルダーをおこなっていたときの資料の数々を発掘した。フランス人の自動車歴史家ローレン・フライリー(Laurent Friry)が、贅沢な時代に存在していた50台を超える資料をつなぎなおし、ビビッドなペイントと共に解説している。

コンクール部門
コンクール・オブ・エレガンス ハンプトンコート

2012年より、ウィンザー城にて開催されているコンクール。ハンプトンコート宮殿では去年より、それまではセント・ジェームス宮殿とホリールード宮殿でも開かれていた。イギリスでは最もハイクラスのコンクールであり、素晴らしい状態の個性あふれる車を持つトップクラスのコレクターが世界中から参加している。今年は、ブルース・マッカウの1929年 メルセデス・ベンツ バーカー ツアラーがベストショーを授賞した。

モータリングショー部門
レトロ・クラシックス・シュトゥットガルト

シュトゥットガルト空港の隣に位置する展示場で開催される世界でも最大級の展示会。クラシックだけでなく、新車やネオクラシックの車両も取り扱い、販売もされている。薪で出来た車や、ハイエンドのディーラーによる展示が会場を埋め尽くしている、完全なるモーターショーである。

ブレイクスルーイベント部門
へベニンハム・ホール・コンクールデレガンス

3回目を迎えるこのイベントは、ケイパビリティ・ブラウンがデザインした館のある広大なサッフォークの地で開催される。今年は、フェラーリ250GTOからパガソ Z102、アストンマーティン・ヴァルカンやマクラーレンF1など50台の車がラインナップした。このイベントでの収益はすべて寄付される。

モータースポーツ部門
ル・マン クラシック

ピーターオート主催の2年に一度開催される24時間イベント。6の年代別カテゴリーに分け、18のレースがおこなわれる。スタートしたのは2002年だが、今日でも新鮮味溢れるイベントである。クラシックカーが夜のピットを猛スピードで走り抜けるのを見たり、夜明けの中現れてくる車を見るため、テルトル・ルージュに出たりするのはワクワクするものだ。もちろん、クラシックカーでそのサーキットを走ることは強い活力が必要となるが。

レースシリーズ部門
2リッターカップ

1966年以前の911オンリーのワンメイクレース。今年は3ラウンド開催され、2リッターレーシンググループとピーターオートによって運営されている。はじめは41台の911がスパにて参加し、ル・マンクラシックでのポルシェオンリーレースにも参加するひとが多くいた。来年には少なくとも40台が参加する予定とのことで、ヒストリックシリーズの明るい未来が見える。

ラリー部門
ロイヤル・オートモビルクラブ・1000マイルトライアル

戦前の車を対象にしているこのラリーは、エンドュランスラリーオーガナイゼーションを引き継いだ、ヒストリックエンドュランスラリーオーガナイゼーション(HERO)のカレンダーの中でもトップイベントとして知られる。今年のトライアルはRAC Epsomクラブハウスからスタートし、ウェールズからハーツ/バックスへと向かった。フレイザー・ナッシュ BMW328で参加した、ピーター・ロベットとマット・フォウルが優勝した。

エンツォ・アワード
GTO エンジニアリング

イギリスのバークシャーに拠点を置く、家族経営のGTOエンジニアリングはカリフォルニアにも支店を置いている。一流のサービスとレストアに加え、状態の良いフェラーリの販売もおこなう。世界でも有数のフェラーリスペシャリストが属しており、特に、ジョアッキーノ・コロンボの作品であるV12エンジンへの技術が高く評価されている。

ヴァンテージ・アワード
Dr アンディ・パーマー

2014年に日産からアストンマーティンに加わり、パーマーはアストンマーティンを新たな高みのある大航海の時代にいざなった。ブランドの名声を取り戻し、新たなエリアを広げるため、経営の仕方を刷新した。ウェールズのセント・アサン工場を開設し、株式売買の市場進出をすすめている。

プライベートミュージアム部門
ミュゼオ ニコリス,イタリア

ヴェロナの近くに2000年にオープンし、8つのカテゴリーに分けられたルチアノ・ニコリスのコレクションを保管している。200台の車、100台のバイク、110の自転車、貴重な飛行船、600のカメラ、タイプライター、100の楽器を展示している。1923年 アルファ・ロメオ RLやブガッティ タイプ49、チシタリア 850GTなどもみることができる。1人の男の情熱が世界に共有されている場である。

ヘリテージコレクション部門
ポルシェ

70周年を迎えたポルシェにとって、この1年は忙しいものであった。エンスタル・クラシックなどのイベントだけでなく、オクタン184号でも特集されていたミッドシップのポルシェ第1号を世界に見せる活動もしていた。グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードでは、ジェリー・ジュダが手がけたオブジェの展示もおこなった。歴史を祝福するため、様々な地を巡ったのであった。

インダストリーサポーター部門
リシャール・ミル

素晴らしい時計をつくるだけでなく、リシャールミルはキーとなるモーターイベントの開催や、ヒストリック・モータリング・アワーズも含め、クラシックカー産業を盛り上げることに大きく貢献している。F1へのパートナー契約だけでなく、シャンティーで開催されるピーターオートのコンクールもサポートしている。

パーソナルアチーブメント部門
マダン・モハン 

驚くべき決意と忍耐を持ち、マダンはインドの地で、素晴らしいクラシックカーでのコンクールやツアーのイベントを発展させた先駆者。彼がおこなっている、21 Gun Saluteは文化的交流であり、西部の素晴らしいものをインドへ持ち込み、来場者とインド半島の栄光を共有した。

スペシャリスト部門
クラシックモーターハブ

グロウスターシュアのビバリーにあるこの先駆的な施設は、クライエントを魅了させるディーラーの新鮮な在り方を提案している。このクラシックモーターハブでは、モーターエンスージアストや車に興味がある人であれば誰でも利用できる交流場所が提供されている。

レストレーション部門
ランボルギーニミウラ
ランボルギーニ ポロ・ストリコ)

その車を開発した人間のために、レストアを施すというのはひるましいことであったであろう。しかし、ジャンパオロ・ダラーラがランボルギーニミウラのエンジン開発を手がけてから50年が経ち、ランボルギーニはそれを成し遂げた。14ヶ月と3000時間がかけられた1台は、まさしくダラーラの80歳を祝うに相応しいものであった。

レストレーション部門 ノミネート
’Jabbeke’ トライアンフ TR2

ベルギーのハイウェイでケン リチャードソンが125mph近くまでスピードを上げたTR2はトライアンフブランドを代表する1台ともいえよう。2015年にグレンハウェットによって見つけ出され、トライアンフレストレーションのボスであるプロテックの手によって、18ヶ月にも渡りレストアが施された。その完璧なレストアで1953年当時にあったトライアンフの姿を取り戻したのだ。

アストンマーティン プロジェクト・ヴァンテージ
イアン・カラムのプロジェクトバンテージは1998年のデトロイトモーターショーで発表された。アメリカのディーラーをツアーし、ペブルビーチとアメリカアイランドでは展示もされた。バンキッシュと同様に発表後に市販化。このオリジナルは倉庫に入れられ、2016年のオークションで残念な価格で落札された。購入者のジョージ・ジョージウは、1998年のスペックに戻すだけでなく、よりドライブしやすい状態へとレストアすることに力を尽くしたのだ。

ランチア・フラミニア・スポーツ・ザガート 3C

クラスアワードは逃したが、今年開催されたロンドンコンクールで会場中の注目を集めた。1963年製のこの1台はトーンリー・ケルハムの顧客によって購入され、フルレストアが必要だと気付くまで、しばらくの間は実働されていた。トーンリー・ケルハムが、素晴らしいスタンダードの状態へと復活させた。

マクラーレン F1 GTR ロングテール

このF1 25Rは18ヶ月に及ぶレストアを終え、コンクール・オブ・エレガンスにて一般公開された。マクラーレンの高度な技術が取り入れられ、すべてのコンポーネントクリーンアップ、オリジナルF1 GTRパーツとの交換が施された。これはF1 GTRを開発した人物たちを加えてはじめてマクラーレンがおこなったレストアである。

オーダーメイドカー部門
ジャガーEタイプ・コンセプト・ゼロ

ヘンリー王子とメーガン・マークルの結婚式でプロトタイプが公開され、その後に市販化が発表されたジャガーEタイプの電気自動車。クラシックの美しさを持ちながらも、7秒で60mphに達する、ゼロエミッションパワートレイン最先端技術を持ち合わせている。組み立てられた1台を購入することもでき、既存のEタイプを改造することもできる。

パフォーマンスカー部門
アルピーヌ A110

莫大なパワーとスピードを持ち合わせていることが全てではないことは確かだ。コンパクトであることが魅力であるスポーツカーもある。このアルピーヌA110は、2017年のジェノヴァ・インターナショナル・モーターショーでデビューを果たした。アルミニウムシェルのボディを持つこの1台が積んでいるエンジンは1.8ℓターボチャージドエンジンであるが、250bhp、4.5秒で62mphに達するパワーを持っている。スポーツカーとして素晴らしい評価をばかりで、動き出すまでのドライビング心地の良さも特徴的。クラッチペダルがなく、パドルシフトであるが、運転すればどっぷりとはまることが出来るだろう。

カーオブザイヤー
‘Jabbeke’トライアンフ TR2

他の賞はジャッジパネルによって決められたが、この賞は読者であるあなたによって決められた。わたしたちが想定していた結果ではなかったが、相応しい1台が選ばれた。1953年に125mphを発揮していたという完璧な状態へとレストアされているトライアンフだ。ルーツは地味だが、お伝えするに最適なストーリーを持っているこの車について執筆するのは実に楽しいことであった。また、それが読者の心を打ったことも喜ばしい。

カーオブザイヤーノミネート車
アストンマーティン DB4 GT コンティヌューション

半世紀前に終了したモデルを再製造することは、今日のハイエンドカーブランドにとって大きなビジネスであり、ニューポート・パグネルで行われる、アストンマーティンの完璧なるハンドビルドで造られるDB GTは注目に値する。現代の技術によって、オリジナルよ
りも良い車となっているが、製造される25台はサーキット走行専用である。

‘ブリット’フォード ムスタング 390GT ファストバック

劇中に登場した車の中でも、よく知られている1台であろう。白熱のカーチェイスを繰り広げ、1968年の撮影終了後はすぐに廃車された。しかし、撮影では2台使われ、1台は傷がついておらず現存していることが分かった。2016年に、その1台を所有していた人物の息子であるショーン・キーナンがフォードにコンタクトを取り、ムスタングの新モデル発表の場に姿を現した。ブリットカーは、レストアされていないが、当時の装備をすべて備え、素晴らしい状態であった。

ランボルギーニ・マルツァル コンセプトカー

ガルウィングとルーフに沿ったガラスと、キャビンとリアウィンドウを覆う六角形がこの車を象徴している。マルツァルは1967年に、ベルト―ネに属するマルセロ・ガンディーニによって手掛けられミッドシップ直列6気筒エンジンはファンタジーのように理想的なものであった。2011年のベルト―ネセールでは、良い結果ではなかったが、レストアを終え、V12のフロントエンジンを搭載した1台へと変身を遂げた。

ランドローバー R07 プレプロダクションカー

2015年にバーミングハムガーデンで発見された初期型のランドローバーは、48台製造されたプレプロダクションの1台であることが分かった。左ハンドルでL07のナンバーがついており、1948年のアムステルダム・モーターショーでは運転のデモに使用されていた。世の中の人々が見た最初のランドローバーである。ジャガー・ランドローバークラシックのもとで息を取り戻している最中。あくまでも、レストアではない。

ポルシェ 911 RSR ターボ ル・マン レーサー

911RSRはポルシェがはじめて生み出したターボチャージエンジンを搭載したレースカーであることだけでなく、はじめてル・マンをレースしたターボカーでもあるのだ。1974年のデビュー戦ではジィズ・ヴァン・レネップとヘルベルト・ミューラーコンビが2位を獲得。錆のことは別として、このターボポルシェの根源である1台は1974年当時を彷彿とさせる勢いを見せる。

イフタイムアチーブメント部門
トニー・ドロン

トニーは長年、オクタンと関わる人物として活動し続けている。彼は優れた知覚力を持ち、知識や学に溢れたモータージャーナリストでありながらも、多岐にわたるカテゴリーにおいてのトップレーサーでもある。他にも、レースをする執筆者、執筆をするレーサーは存在するが、トニー・ドロンほど長く2つの要素に関わっている人物は少ない。それは一体どれほどの期間であるのか?1968年から2011年である。1968年から執筆をはじめ、72歳になる今なお、続けている。22歳の頃から、2つの訓練が彼の人生には与えられている。トニーはフォーミュラに参戦してすぐに、同じくフロントランナーであったジェームス・ハントと友人関係となった。
しかし、ハントのほうがレースに必要な資金を集めることが上手かったため、インズはトニーに職を探すことを勧めた。インズはオートカーのデスク人員配置を担当していたため、必然的にトニーも加わることとなった。オートカーに記事を数本書き、若いジャーナリストが熱望する’ギルド・オブ・モータリング・ライター’のウィリアムズ・ライオンズ・アワードに加わった。1971年に、モーターマガジ
ンへ入社する。そして、1977年に大きな成功が訪れたのだ。ブロードスピードがメカを担当していた、トライアンフ・ドロマイテ・スプリントで5回のブリティッシュ・サルーンカーチャンピオンシップ優勝を獲得した。翌年には、ポルシェ924チャレンジでも勝利をおさめた。 それから、サーブやポルシェの車販売員として働き、2度ル・マンへの出場もした。1980年は924GTPでアンディー・ルースと共に12位フィニッシュ、スルーブレッド&クラシックカーマガジン社に加わった年でもある、1982年には934で13位フィニッシュで終えた。
同社では、すぐに編集者として活躍し、
10年以上は執筆、編集だけでなくレースも続け、1年でさまざまな車と共に、50以上のイベントへ参加をした。しかし、ハードな仕事量を保つことが難しくなり、1993年にフリーランスとなった。 それから2011年まで、トニーはグッドウッドで開催されるヒストリックレースを中心に参加。以来、彼独自の発見などで、オクタン読者を楽しませ続けているのだ。
ここに、トニーへの敬意を示す。 

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