クラシック・レンジローバーの市場価値はなぜ上がり続けるのか? 人気コレクターカーの魅力を探る

Photography Justin Leighton



発表が早まったから 

発表会の舞台がこの場所になるまでにも逸話があった。ロジャーはこう振り返る。
「発表会の場所として予定されていたのはここではなく、モロッコだった。私たちは196911月に下調べも済ませていた。アフリカで環境テストを行っているときに、広報とマーケティングのチームから試乗ルートを作ってくれと頼まれたんだ。チャーチルが定宿にしていたマラケシュの有名なホテル、ラ・マモウニアを拠点にするルートだ」(かのイギリス元首相は、「午後を過ごすのにマラケシュ以上に素晴らしい場所は地球上のどこにもない」と言ったことで有名)

「クリスマスのあと本社に戻ると、少人数のチームミーティングが開かれた。この車を製品化したエンジニアはジェフ・ミラーとアラン・ウッドと私の3人だけだ。そのうちに残りの連中も加わったけれどね。その会議で、発表会が3カ月早まったと伝えられた。私たちはあっけにとられたよ。『はい?! まだ準備は整っていませんよ』としか言えなかった。すると、『まだ準備は整っていませんとストークス卿(ブリティッシュ・レイランドのトップ)に言えるかね』と切り返された」

「そこで、死に物狂いになって開発を進めるしかなかった。記者が試乗できるように、人前に出せるような車を製造部門に造ってもらう必要もあった。そうそう、発表会の場所もコーンウォールに変わったんだ」
「マラケシュで10月か11月に発表する予定だったのに、6月に前倒しされたんだから、(開発)プログラムにどんな影響があるか想像できるだろう。ストークス卿は、政府だか株主だかに、半年おきに新車を発表すると約束してしまったんだ。あの年はスタッグ(トライアンフ)も発売したから、1 年に新モデルが2台だ。幾晩も遅くまで明かりが付いていたものだよ」

こうしてミュードンホテルにスマートなスーツ姿のジャーナリストが集まることとなった。当時ホテルを経営していたハリー・ピルグリムは、ランドローバーのテクニカルディレクターだったピーター・ウィルクスの友人だった。2 人はソリハルで出会い、その後ハリーはクエーカー教徒が建てた南国風の庭を持つ屋敷を見つけ、改装してホテルを開業したのである。

ホテルを引き継いだ娘のゲイ・ウッドは、レンジローバーを懐かしそうに見つめながら思い出を語った。
「私は10歳でしたが、よく覚えています。素敵な人たちで、1週間いました(記者は3グループに分かれ、1週間かけて順番に訪れた)。大勢の人たちがいて素晴らしかった。誰もが葉巻を吸っていました。当時は屋内も禁煙ではなくて。葉巻がなくなると私がお使いに出されて、何でも頼まれたものを買ってきたものです」
「記者が最初に来たときには、ビーチに出るスロープがなかったので、レンジローバーを砂浜に出せませんでした。そこで、皆がブルーヒルズ鉱山へ撮影に出掛けている間に、父がスロープをこしらえたんです」

当時ゲイは新しいレンジローバーに乗せてもらえなかったが、今回ようやくそれが叶った。素晴らしい庭を抜ける急な坂道をホテルまで同乗していったのだ。圧縮比の低い総アルミニウム製のローバーV8エンジンは、スロープを上る際も低い穏やかな唸りを上げるだけだった。100年かけて海外から移植されためずらしい植物の間を縫って、ホテルまでの狭い遊歩道を登っていく。ホテルから先はモーナンスミスの村に続く開けた道に出た。ありがたいことに今のところ休日でも交通量は少ない。


ミュードンホテルの女主人ゲイ・ウッドは、発表会から50年近くたって、ようやくレンジローバーに乗ることができた。 

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA Words David Lillywhite

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