注目の新エキジビション「グランドバーゼル」はハイ・アートとして自動車を定義する

Photography:Akio Lorenzo OYA

スイス・バーゼルといえば、これまでアートフェアや高級時計見本市で知られてきた。高いレベルの趣味を目指す人にとって目が離せないこの都市で2018年秋、新たなエキシビジョンが誕生した。その名は「グランドバーゼル」。会場に展開されていたのは、従来とは異なった自動車のナラティブ(叙述)でありアプローチであった。

自ら語りかけてくる車たち

「これは自動車のショーではありません」。グランドバーゼルのグローバルダイレクター、マークN.バッケはセレモニーの冒頭でこう宣言した。時計宝飾フェア会場と同じメッセ・バーゼルに集められた約100台の選考基準は、「meaningful cars (意味ある車)」であるという。より具体的にいえば、自動車のアーキテクチャーに焦点を合わせたと説明する。同時に「マーケティングに支配されたショーとは一線を画したかった」と語る。

普段はケルン専門大学で教鞭をとり、最高顧問を務めたパオロ・トゥミネッリは「自動車は、自らが語りかけてくる」と話す。

彼らが行き着いた答えは、照度を落としたブースに浮かび上がる純白のボックス状ブースと、そこに置かれた車たちだった。それらを眺めるのは、まさにミュージアムで絵画を観るが如くである。筆者の印象は正しかったようで、トゥミネッリはこう話した。「私たちは、まさに(自動車を鑑賞するための)額縁を作ったのだ」。

目障りな解説ボードもない(必要なら、スマートフォンのアプリを通じて各車両のヒストリーを参照できる)。BGMもないが、広い通路を辿っていると、プロムナードと名付けられた間奏曲と10の曲が織りなすムソルグスキーの「展覧会の絵」が自然と脳裏に響いてくる。

オープニングには自動車デザイン界のビッグネームも次々と姿を現した。開会のひと月前に80 歳を迎えたジョルジェット・ジウジアーロは「このイベントが自動車を手がけた人々が評価される場になることを願う」とコメントするとともに、その手工芸的な技が再発見されることを望む」と語った。

ジオ・ポンティの車を再現

ところで今回、会場エントランスでビジターたちを迎えるべく置かれたのは、水色をした1台のモックアップだった。20世紀イタリアを代表する建築家のひとりジオ・ポンティ(1891-1979) が1953年に考案した自動車である。

資料しか遺されていなかったものを、今回FCA(フィアット・クライスラー・オートモビルズ)のヘリティッジ部門が再現した。構想から65 年ぶりの1/1サイズ実現である。

車体各部に反復されているモティーフは、同様にポンティがデザインした椅子「スーペルレッジェーラ」や、彼の設計でのちにミラノ駅前に建設された「ピレリ・タワー」にもみられる"ダイヤモンド・シェイプ"である。

現在FCAヘリティッジの責任者で、フィアット・ムルティプラ(1998-2010)や2007年フィアット500のデザインで知られるロベルト・ジョリートは、「私たちは考証から開始した」と話す。そして「ひとつひとつスケッチを確認するたび、私たちは次の作業ステップに導かれていった」と振り返る。

その過程で判明したのは、彼の車は(車が専門ではない)建築家による作品ではなく、極めて機能性が考慮され、かつ生産の可能性まで模索されていたことだったという。

こうしたのちまで成果が残るアカデミックな取り組みも、このグランドバーゼルが従来の自動車イベントとは一線を画していることを表している。

新たな車の鑑賞法

美術見本市「アートバーゼル」のスタイルを踏襲するように、グランドバーゼルもマイアミビーチ(2019年2月22-24日)での開催が予定されている。アジアでの実現も模索中だ。バッケによれば単なる巡回展ではなく、各地で異なる車両をディスプレイするとのことだ。

そしてBaselと名付けられているものの、欧州での第2回は別の都市で開催することもあり得る、と彼は示唆する。巨大な仕掛けを要する自動車イベントで、マーケティングに支配されないエキシビジョンという崇高な理想をいかに保てるかは、彼および顧問たちの手腕にかかっている。

ところで美術用語に「ハイ・アート」という定義がある。日本語では高級芸術と訳される。作品誕生に至るまでのコンテクストをはじめ一定の学習によってのみ理解できる芸術を指し、「ロウ・アート(大衆芸術)」と対置される。

もちろん自動車はデザインの領域であり、アートの領域との間には一線を引くべきだ。しかし、グランドバーゼルにセレクトされた車たちは、歴史を知ったうえで対面されるのを静かに待っている。たとえば、前述のジウジアーロがベルトーネのチーフデザイナー時代にデザインした1963年シボレー・コーヴェア・テスチュード。彼が途中まで手がけマルチェッロ・ガンディーニが引き継いで完成したランボルギーニ・ミウラや、最新作である2018 年シビーラと一直線に並ぶ。それらにコンテクストを見出し、ディスクリプションを行うのはビジターに任されている。まさにハイ・アートと接するが如く。そうした意味で、グランドバーゼルは自動車の鑑賞法に新たな地平を拓いた。



美術や時計宝飾フェアが催されることで知られるバーゼル・メッセは、3万2千平方メートルにおよぶ巨大な車の美術館に変貌した。センターに置かれたのは、1948年アルファ・ロメオ6C2500コンペティツィオーネ用にイタリア・パドヴァのカロッツェリア、ディーノ・コニョラートが製作したボディフレームワーク(2016年)


建築家ジオ・ポンティが1953年に考案した自動車の1 / 1モックアップ再現。当時アルファロメオ1900の機構部分を使用することが想定され、カロッツェリア・トゥリングやフィアットでの生産可能性が模索されたが、実現には至らなかった。今回、FCA ヘリティッジがプロジェクトを実現した。



グローバルダイレクターのマークN. バッケ。BMW で広報・マーケティング業務に長年携わったあと、2016年から現職。「自動車への深い愛情は、祖父の代から受け継いだものです」と振り返る。


左からアドバイザー委員長のパオロ・トゥミネッリ、現行フィアット500のデザイナーで現在FCA ヘリティッジを率いるロベルト・ジョリート、そしてカルロ・アバルトと苦楽を共にした未亡人アンヌリーズ・アバルト。


往年のスペイン製スポーツカー、1954年ペガソZ102。新車当時、同車には複数のコーチワーカーによるボディが用意されていたが、展示車両はソーチックが手がけたものである。独特のフェンダーラインが醸し出す躍動感が印象的だ。ペガソは、フランコ政権が旧イスパノ=スイザ工場を接収したことで誕生した公営自動車メーカーだった。


ジウジアーロの代表作のひとつで、23年のロングセラーとなった初代フィアット・パンダ。展示車は1979年の製造記録がある最初期の個体である。2008年にイタリア・サルデーニャ島で発掘されたあと、収蔵先であるミュンヘンのデザインミュージアム「ディ・ノイエ・ザムルンク」まで運転して運ばれた。車両脇のブラウン管テレビでは"救出"の記録映像が上映されていた。


画家パブロ・ピカソが最後に愛用した車で、現在も彼の家族が所有する1963年リンカーン・コンティネンタル。上のドイツ語「ピカソここにあり」は、1967年バーゼル市が住民投票で彼の作品購入を決定した際の歴史的垂れ幕を再現。


ジョルジェット・ジウジアーロがベルトーネのチーフデザイナーだった24歳のときデザインしたシボレー・コーヴェア・テスチュード( 手前)。彼と社主ヌッチオ・ベルトーネは、1963年ジュネーブ・ショー会場に自走で乗りつけた。


英国フォードによる1961年コンサル・カプリ。フォードが本国( デトロイト)、ドイツ( ケルン) そしてイギリスの三極体制で展開していた時代のプロダクトである。米国風スタイルにイタリアのリゾート地名という、ミックスされたエキゾティズムも特徴的だった。ただし生産台数は19,421台にとどまった。


モンテヴェルディはペーター・モンテヴェルディ(1934-1998) によって、バーゼル近郊ビンニンゲンに第二次大戦後設立されたスイスのスポーツカー工房。この1970年Hai450GTS は、ミドシップされたエンジンこそクライスラー製V8だが、イタリアのフィッソーレによる流麗なボディをもつ。


1978年ベルトーネ・ランチア・シビーロ。ジウジアーロの後継としてベルトーネでチーフデザイナーに就いたマルチェッロ・ガンディーニらしい挑戦的なフォルムをもつ。ベースは同じデザイナーによるランチア・ストラトス。2011年からはイタリアを代表するコレクター、コッラード・ロプレストのもとにある。


イタリアの若手ドライバー&コレクター、エウジェニオ・アモス( 右)による「ランチア・デルタ・フトゥリスタ」。HF をもとに軽量素材を駆使しながら3ドア化。エンジンもオリジナルの130馬力に対して330馬力まで強化している。基本価格は30万ユーロで、目下20台の生産を計画中。


メインである歴史車両展示のほか、現存するコーチワーカーが参加できる枠も設けられていた。これはパリを本拠とする「アトリエ・ディーヴァ」による作品。911タルガを精巧に再現したカーボン製ボディに、964のパワーユニットを搭載。25台が限定生産される予定である。


「ガレージ・イタリア」は、フィアット創業家の御曹司ラポ・エルカン率いるカスタムメイド工房。この「スピアッジーナ」は、往年の高級リゾート地におけるビーチカーへのオマージュとして彼がプロデュースした。実際のボディ製作はフィアット500Cをベースにピニンファリーナが担当。

文、写真:大矢アキオ Words and Photography:Akio Lorenzo OYA

文、写真:大矢アキオ Words and Photography:Akio Lorenzo OYA

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