これは残骸ではない。博物館に展示された"見るも無残なクルマ"の正体とは

このクルマの正体とは



「クルマの所在地はウラジオストックでした。アムステルダムからモスクワを経由して10時間の長旅になります。ここに至ってわかったのは、イヴァンは仲介者で、ほかに所有者がいることでした」

「イヴァンは『1943年シボレー』と謳った売り物をロシアのウェブサイトで見つけ、それがトヨダAA型であると確信したのです。これはビジネスになると考えたイヴァンが、アムステルダムのウェブサイトにオファーを提示したようです。しかし、イヴァンが仲介者であることはいいとしても、支払い条件が現金取引であり、金額がロシアの法に触れるのではないかとの危惧を持ちました。そこで、危険を回避するため、ウラジオストックにある唯一のスイス銀行系の支店とコネクションのある、スイス人ビジネスマンに加わってもらうことにしまた。ここでは仮に“ハンズ”とでもしておきましょう」

「ウラジオストックへの旅には、ロシアの税関手続きや習慣などに対応するためにイギリス領事館の知人と、完璧な英語を話すロシア人の物流専門家である"ボリス"を伴って行くことにしました。"ボリス"というのも仮名です。それほど気を使ったのです」

「ボリスは、長身でがっしりとした体格の典型的なロシア人でした。モスクワに到着した翌日、初めてイヴァンに会いました。私の想像に反して、彼は小柄でいかにも神経質そうな男性で、ジャーナリズムを専攻する25歳の学生でした。イヴァン、ハンズ、ボリス、そして私の4人は、その日のうちにウラジオストックへ向かいました。旅に先たって、イギリス人の友人から『モスクワはだいぶ西洋化してきたが、そこ以外は前世紀のまま』だとのアドバイスを受けていましたので、覚悟を決めて……」

「都市部から20kmほど郊外へ向かうのですが、タクシーは法外な金額を要求するありさまで、そこではボリスのかなり乱暴な口調と容貌に助けられましたっけ。雰囲気は虐待的で脅迫的。自分の身に何か起きても、誰もおかしくない状況でした」

コーイマンズが立てた計画では、契約はクルマの前ではなく、安全を期してホテルで結ぶことにしていた。ボリスとハンズが資金面の問題とクルマの輸送方法を打ち合わせている間に、コーイマンズがイヴァンとクルマを見に行くというわけだ。

「到着して直ぐにオーナーと会い、英語を話せるという彼の義理の弟に紹介されました。クルマは倉庫からバックで自走して出されました。オーナーの祖父が第二次世界大戦後に入手し、シベリアで使っていたそうです」

「このクルマは何としてでも手に入れろ」とボスのローマンからの厳命を無事に果たしたものの、この後に、あらゆる行政手続が待ち受けていた。

「クルマの所有者登録を変更する場合は、オーナーと購入者と一緒に移行事務所へクルマに乗って出向く必要があります。私たちはAA型をトラックで事務所へ運び、イヴァンの名義に変更し、費用はハンズが現金で手渡ししました。この時、ハンズとボリスは初めてクルマを目にし、『これのために?』と大きなショックを受けていましたっけ」

「大切なAA型はコンテナに収納して貨車に積み込みました。モスクワに確実に到着する保証はあるのか不安でしたが、なんとボリスは警察官で、大丈夫だと言いながら、彼はジャケットの下に着けていたバッジを見せてくれました」


貴重な写真11枚を見る

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:数賀山まり Translation: Mari SUGAYAMA Words: Martin van der zeeuw Translation: Gehene Tewfik Photography: David Jong

無料メールマガジン登録   人気の記事や編集部おすすめ記事を配信         
登録することで、会員規約に同意したものとみなされます。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事