ジャイアントキラーと呼ばれた常勝マシーン"アルファロメオ・ジュリアGTA"

GTA1300J

GTAが走り始めると、たちまちヨーロッパだけでなくアメリカのツーリングカーレースでも 勝ち進み、ジャイアントキラーとも呼ばれるようになった。

1965年2月のアムステルダム・モーターショーでデビューし、1966年ジュネーヴにも現れたGTAは、デ・アダミッチとゼッコリのドライブで、早くもその2週間後の3月20日にETCのRACINGモンザ4時間レースで完走を果たした。

それから1週間後、大西洋を渡ったセブリングの4時間レースでは、GTAが次世代のF1ドライバーとなるヨッヘン・リントに託された、リントはAJフォイトのフォード・マスタングやアダモビッツのダッジ・ダートなど9台の大排気量車と相まみえ、アダモビッツに1周の差をつけて優勝し、GTAは3位、4位、5位、8位にも入った。

GTAはモンザでヨーロッパ・ラウンドでの初勝利を上げると連勝体制に入り、ETCのニュルブルクリング 6時間、スネッタートン500km、ブダペストでも1 2 3フィニッシュを上げ、1966年から1969年までETCの1.6ℓクラスはGTAが席巻することになる。また、北米のTransAmシリーズでも同様に勝利を重ねていった。サーキットだけでなく、1966年のアルペン・ラリーでもジャン・ロランGTAが優勝し、その後もラリーでは2位入賞を何度か収めている。

1967年にはポルシェ911がツーリングのホモロゲーションを取得したことでGTAの圧倒的な優位は薄れたが、それでもオーストリア、オールトンパーク(イギリス)のツーリスト・トロフィー、ブダペストGPなどで優勝を果たし、ニュルブルクリング6時間などクラス優勝は枚挙に暇がない。

1967年にパワーアップのためにスーパーチャージャーを装着したGTA SAが投入され、翌1968年には1300GTAもデビューし、GTAシリーズの充実が図られた。アウトデルタGTAチームが1968年のETCを席巻して、同時に欧州のローカルレースでもGTAは勝ち進んでいた。イギリスではGTAは高価であったから、安価な自国製を選ぶドライバーが多かった。イギリス人ドライバーのロディ・ハービー・ベイリーは、GTAのプロトタイプに乗っていたことがある。

GTAの優位を保つため、1970年には燃料噴射装置付き2ℓエンジンにオーバーフェンダーを備えた、発展型のGTAmを投入した。1970年にヘゼマンがETCCドライバーズ・タイトルを、そして1971年にアルファがマニュファクチュアラーズ・タイトルを得た。だが、その後はフォード・カプリやBMW CSLなどの台頭によって座を奪われた。(Peter Collins)


上/1970年、ニュルブルクリング6時間を走るスクデリア・ブレシア・コルセのGTA1300J(ウベルティ/ザッコリ組)。


下/1966年ブダペスト4時間グランプリでアンドレア・デ・アダミッチが披露した極限的なGTAドライビング。この年、アダミッチはETCCドライバーズ・タイトルを得た。このクルマは、現在アルファホリックス社でレストアを受けている。

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