S・マックイーンも愛した希少車|フェラーリ NART スパイダー

フェラーリ 275GTB/4 NART スパイダー

買い手の熱気が溢れるオークション会場に275GTスパイダーが現れるオークションでロードカーに付いた価格としては史上最高額で落札金額を塗り替えその全収益は慈善団体へ寄付されたこれはそのスパイダーにまつわる驚くべきストーリーのすべてである。

ノースアメリカンレーシングチーム

8月17日、土曜日。米カリフォルニア州モントレーにあるポルトーラホテルにて。エディ・スミスSrによって所有されていた1967年製フェラーリ 275GTB/4 NARTスパイダー(車台番号10709)の競売が、RMオークションのマックス・ジラルド氏の掛け声により1000万ドルで幕を開けた。開始から12秒後には1600万ドルへと跳ね上がり、その1分後には1700万ドルへ、そして2000万ドルという声が上がる。この希少なフェラーリがハンマー価格2500万ドル(オークションの手数料10%込み2750万ドル(約27億円)で落札されるまでに10分とかからなかった。この金額はオークションでロードカーに付いた価格としては史上最高額である。そしてさらに素晴らしいニュースがある。このお金は全て慈善団体に寄付されるということだ。この伝説的なフェラーリ NARTスパイダーは、1967年と1968年にわずか10台が生産された。9台はアメリカへ渡り、残りの1台はスペインに向かったと言われている。フェラーリの中でもごく限られた人のみに所有することが許されたこの車は、大々的にキャンペーンが繰り広げられた250GT SWB、名高いGTOそして人気の高いカリフォルニア・スパイダーとは違い、ごく最近まで実際どんな車なのかを知る人はほとんどいなかった。誰もが認める美しさを誇るNARTは、コレクターによって購入、所有されたが、そういったコレクターは通常自分たちの車を保管するか、もしくは隠していたから、むろん世間の人々の注目を集めることもなかったというわけだ。その希少なフェラーリNARTが今、RMオークションで公にその姿を現した。

1949年、レーシングドライバー、ルイジ・キネッティが、ル・マンでフェラーリに初めての勝利をもたらした(彼自身はこれ以前に2度優勝している)。フェラーリの創設者であるエンツォのいい友人であったルイジは、第二次世界大戦後、全米で唯一のフェラーリ・エージェントとなり、グリニッジ、コネチカットで販売代理店を開いた。キネッティはフェラーリの公認を受け、ノースアメリカン・レーシングチーム(NART)を結成し、セブリング、デイトナ、そしてル・マンでの耐久レースで成功を収めた。エキゾチックなイタリアン・カーを、裕福なアメリカのエンスージアストに売り込むための戦略であったが、1960年代当時、グランツーリスモ・ベルリネッタの売れ行きは全くもって芳しくなかった。

「発表された当初、275は正直なところ少し時代遅れでね」とルイジ・"ココ"・キネッティJrは言う。「ランボルギーニ・ミウラや、美しく、ずっと価格も手ごろなEタイプのジャガーと比べると、トラディショナルな275は、なんと言うか、ガツンとした大きなパンチに欠けていたんだ」「フェラーリはミッドシップ式の250LMのロードゴーイングモデルをつくるべきだった。ハンドリングの悪い旧式のGTBよりずっと進化した、いい車になったはずだからね。デニス・マックラゲッジはセブリングで 275GTB/4NARTを走らせた後、私にこう言ったよ。『コーナーを曲がるずっと前に、曲がる準備を始めなきゃいけないわけよ』ってね。」

そう言って彼は笑った。

キネッティSrは、ベルリネッタのボディ架装をしたスカリエッティに、25台のNART スパイダーの生産を持ちかけたが、結局完成したのは10台のみであった。1万4400ドルの値がつけられたが、全ての車をこの値段で売りさばくことはキネッティにも難しかったようだ。

「今の時代、クラシックフェラーリは心ーつまり、自分の真っ赤なフェラーリを夕焼けに向かって、スティーブ・マックイーン、イタリア、オペラ、F1などさまざまな気分を味わいながら走らせたいという想いによって購入されるものなのさ。要はロマンスというわけさ。NARTスパイダーは実に美しいフォルムを持つスポーツカーで、その4カムエンジンが期待を裏切ることはない。だがクラシックフェラーリに関しては、完璧なパフォーマンスは問題ではないんだ。ましてその投資効率が株式市場を上回り続けることを考えれば、文句のつけようもない」そう、ルイジは言う。

「このNARTは素晴らしい歴史を秘めた、非常に魅力的な車だ。オーナーのエディ・スミス氏は本当に心の温かい、正真正銘の紳士だった。そして全ての収益を慈善団体に寄付するという彼の家族の博愛に満ちた行為に感激している」

ノースカロライナ州、レキシントン出身のエディ・スミスSrは、真のフェラーリ・エンスージアストだった。貧しくも暖かな家庭に育った彼は若くして両親をなくし、大きな成功を収めた靴下の通信販売業、ナショナル・ホールセール・カンパニーを1952年に創設するまでには数多くの下働きに従じた。

「フェラーリの神秘性については耳にするけれど、なぜこんなにも惹かれるのか私にもよくわからなかった。初めはスポーツカーについてよく知らなかったけれど、それでもフェラーリは知っていたし、フェラーリが勝つところはいつも見ていた。ジャガーやいろんな車のことも聞いたが、私はいつもフェラーリが欲しいと思っていた」そうエディSrは語っていたという。エディとルイジ・キネッティの友人関係は、エディにとっての初めてのフェラーリ、中古の 250GT SWBカリフォルニア・スパイダーを購入した時に始まった。エディはほどなくしてモデナまで行き、275GTB/4ベルリネッタに買い替えると、アメリカに持ち帰る前にアルプスでのドライブを楽しんだ。

しばらくして、ルイジはエディに電話をかけてこういった。「エンツォにスパイダーを何台かつくるように話したんだ。1台どうだい?」エディがベルリネッタを買ったばかりだよと文句を言うと、ルイジはそのお金は返金すると申し出た。こうしてエディは再びマラネロへと飛ぶことになった。

キネッティは最新フェラーリの広報活動に飛び回っていた。デニス・マックラゲッジとピンキー・ロロという女性のみのチームにより参戦したセブリングで、初のNART(車体番号9437)は全体で17位という見事な成績で完走した。このアルミ製ボディの275GTB/4はサン・イエローに塗られていたが、その後、上品なバーガンディに塗り替えられ、根っからのクルマ好きとして知られる"ミスター・クール"、スティーブ・マックイーン主演の映画、『華麗なる賭け』(原題:The Thomas CrownAffair)に登場した。

マックイーンはこのNARTをいたく気に入り、車台番号10453を自分用に購入した。だが不運なことに、ウィルシャーブルーバード沿いを走っている際に追突されてしまった。そこでマックイーンはエディに電話をかけ、現在生産中である彼の車を譲ってくれないかと頼み込んだ。エディはこう答えたという。「スティーブ、私は君のことが好きだがね、でも愛してるわけじゃない。この車は譲れないよ!」


「ノースアメリカンレーシングチーム」という名に惑わされてはいけない。これは300bhp 4カムV12を搭載しながらにして、実にラグジュアリーなGTカーだ。NARTスパイダーの生産台数は僅か10台。そしてこの車は新車の時から一家族によって所有されてきた

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