ハントとラウダ|映画"ラッシュ"公開で人気が再燃した英国のF1ヒーロー

ジェームス・ハントとニキ・ラウダ

映画"ラッシュ"の日本公開を受けてジェームス・ハントとニキ・ラウダに関する書籍が続々と登場した。そのなかには、あの悪名高き1976年イギリスGPを取り扱うものもあった

ハントのもつ、ふたつの顔

映画"ラッシュ"は、「F1界の不良少年」としていまもイギリス人から愛されているジェームス・ハントの人気を再燃させるきっかけを作った。映画が完成すると、これに関連した書籍がいくつも発売されたことは驚くに値しないが、そのなかでもっとも秀逸なのは、写真が豊富で、大判のハードカバーで仕上げられた「ハント vsラウダ」と題された一冊。これは書名となったふたりのドライバーが1976年のF1グランプリで演じたチャンピオン争いにフォーカスした内容となっている。

そのライバル意識の強さとは裏腹に、ふたりはマシンから降り立てばよき友人で、レーシングドライバーになったばかりの頃にはロンドンのアパートを共同で借りていたほどの間柄だった。映画では、彼らのキャラクターは対照的だったというステレオタイプな演出が成されているものの、サーキットを離れても充実した生活を送っていたハントとラウダが、プライベートライフでは互いに厚い友情を育んでいたことがこの本には描かれており、これが大きな見どころのひとつとなっている。そのほか、ベルギーGPの直前に撮影された写真では、自らのフェラーリに乗り込もうとするハントをラウダが応援する様子が捉えられているが、現代のF1界ではまったく考えられない情景である。

ここでは、ハントの優勝に終わった76年イギリスGPの模様を「ハント vsラウダ」の要約版としてお届けする。このグランプリではスタート直後に多重クラッシュが発生、これに巻き込まれたハントのマクラーレンが再スタートできないと知ると、愛国心旺盛なイギリスの観客たちが騒ぎ始め、あわや暴動かという緊迫した事態まで発展することとなった。

ブランズハッチは、自然が作ったコロッセオのような地形にそのコースを横たえている。しかも、高くそびえ立つグランドスタンドから見ると、背後のコンクリートウォールによりピットからの退路が塞がれているようだ。この日、観客席に陣取ったファンは、さんさんと降り注ぐ陽光を浴びながら、つまらないルールのせいで"我らがチャンピオン"が出走できないかもしれないと知らされ、殺気だった表情でその様子を見守っていた。

事態の成り行きは、多くのレースファンにとってなじみ深いモータースポーツの厳格さ、もしくはある種のあいまいさのどちらとも遠くかけ離れたものだった。彼らは血の臭いに飢えた、ハントのどう猛な信奉者たちだった。そんな彼らのヒーローは、数日前にはとあるテレビ番組でトランペットの演奏を披露していた。いや、本当に彼はトランペットを吹いたのである。しかも、かのアルバートホールで。おまけに、腕前はなかなかのものだった。いっぽうで、彼には"ネズミ"という愛称がつけられていた。なるほど、そう見えないこともないが、それはハントにはどうしようもないことだった。

この前年、イングランドの国旗であるセントジョージの赤い十字と、スコットランドの国旗であるセント・アンドリュー・クロスの青い十字を真っ白なボディに描いたマシンを駆るハントは、イギリスの英雄とされていた。ところが、いまや彼は酒やタバコだけでなく、マリファナや刺激の強い噛みタバコにまで手を出すF1界のロックスターとなっていた。いっぽうで、上品なアクセントで話し、クラシック音楽への造詣が深いにもかかわらず、ジーンズにTシャツ、それに素足というみすぼらしいスタイルを好んだ彼は、上流社会と下流社会をつなぐ架け橋の役割も果たしていた。ハントのなかには、誰からも信頼される紳士としての横顔と、世の中から爪弾きにされたパンクとしての横顔が同居していた。彼は、まるでモナコに建つ庶民派のスーパーマーケットのようだった。知性に欠けていて、金遣いは荒かった。その存在は、イギリスの上流中産階級の理想である「努力せずに成功を収める」生き方と、用心深くてビール臭く、毎晩街に繰り出している若者たちの暮らしぶりの、両方を象徴しているかのようだった。誰もがハントについて一家言持っていたが、それは誰も彼のことを理解していない証拠でもあった。いや、そもそも捉えどころがなかったというべきか。恥ずかしがり屋で、古くからの友達にしか心を許さなかったハントは、大衆が彼に向ける憎悪の眼差しに堪えきれず、いつも小さなあなぐらに逃げ込んでいたのである。彼が心穏やかでいられるようになったのは、あるいは鬼籍に入ってからのことだったのかもしれない。

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