Time With…Ken Brittain|名チューニングメーカーBBR共同設立者 ケン・ブリテン

アストンマーティンでの見習い期間を経て、ウィルメントの新生レーシングチームに加わったケン・ブリテン。現在は2ストロークエンジンとコンパクトな航空機エンジンに取り組んでいる

1960年代の花形レーサー達が駆るロータス・コルティナやコブラのチューニングで経験を積み重ねたケン・ブリテン。後に設立した会社は1990年代、マツダ MX-5用ターボチャージャーで名声を得た

1980年代、レーシングカーのチューニングメーカーとして大成功を収めた会社のひとつ、BrodieBrittain Racing(BBR)の共同設立者のひとりとして有名なケン・ブリテン。現在最新のエンジン設計に取り組む彼のキャリアは、アストンマーティンから始まった。英国のミドルエセックスで育ったケンのエンジニアリングに対する興味は、幼いころから顕著だった。戦時中、航空機製造会社に勤めていた父は、時折不要部品を家に持ち帰ってきたという。「本物の部品を使って、おもちゃの飛行機を作ったものです」現在70歳になるケンは昔を振り返る。わずか4歳にして電灯のスイッチを分解し、7歳になると中古の部品で電気モーターを作った。電子工学の道を目指したが、大学受験に失敗すると1959年、フェルサムにあるアストンマーティンで見習いとして働きながら、自動車整備の定時制に通うようになる。「初めに配属されたのはサービス部門だった。そしてレーシングカーの工場で学んでいた1959年、アストンマーティンがあるレースで優勝を果たした。その時は全員で休みを取ったね」その4年後、ケンはエンジン部門に移り、これがエンジンに興味を持つきっかけとなった。

後にルーツ/クライスラーのコンペティション・マネージャーとしてその名を広く知られるようになる、デス・オデール率いるDB5開発チームで働いていた時のこと。デスはテストを終えたプロトタイプからギアボックスを取り外すようケンに指示した。「20分後、ギアボックスを外して床に置いた。すると4人の大男たちに囲まれ、トイレに閉じ込められてしまったのさ! 自分たちが1年も働いて、それでも8時間かかる仕事を20分で片づけたことが気に入らないと言ってね。4時間くらいかな。まぁ、トイレの心配をする必要がなかったのが救いさ!」と言ってケンは笑った。その後エンジンのベンチテストチームに移るが、上司と馬が合わず紛糾、結果として会社を去ることになる。ケンが退職することを懸念した、かの有名なジョン・ワイヤーによって社内審理が行われたが、結局その上司の言い分が通った。ケンは、レーシングチームを始めた地元トライアンフのディーラー、ジョン・ウィルメントに雇われ、ブレントフォードにあるガレージでチームが軌道に乗るまで働くこととなった。そこでケンは長きに渡りパートナーとなるスパイク・ウィンターと出会う。1962年、クライアントのアングリアにメカニックとして携わり、レースについて初めて本格的に学ぶことになる。

「驚いたよ。アストンマーティンがスタート地点から当たり前のようにレースを始めるのに対して、アングリアには3ラップものハンディキャップが課せられていたんだ! 若造の私は、大好きなアストンマーティンが遅れをとっていく姿を見て、時代が変わったことを感じた。自分たちのチームがレースに出る時が待ちきれなかったね。そして1963年、ジェフ・アレンがチームにやってきた。新しいことを毎日吸収していたそんな時、突然4台の車が目の前に現れたのさ」

それは3台のコルティナGTと7.0lのギャラクシー、計4台のフォードだった。この頃ウィル メントはトゥイッケナムにフォード販売代理店を持ち、ケンはそこでエンジンを作っていた。「目が回るほど忙しかったね!エンジンを組立て、チューニングして、さらにトランスミッションの修理も担当していたから、3日や4日寝ないこともあったよ。ギアボックスやアクスルのベアリング、ステアリングボックス、ホイールベアリング、すべての車のありとあらゆる部品を新しいものと交換しなくてはいけなかったから」

しばらくして、ケンは自分のチームの新人2人が自分の給料よりも高いことを知る。これに腹をたてた彼は会社を辞めることにした。送別会を終えてパブを出ようとしたとき、ケンが自分の会社を辞めると聞いたジョン・ウィルメントがあわてて現れた。「その時私はとても酔っぱらっていてね!何の経験もない2人に、今までエンジン工場を切り回してきた自分よりも30%も多く給料を払っているなんて気に入らないと言った。するとジョンが『希望の金額を言ってくれ。』と言ったんだ。すかさず2倍の金額を言うと、彼は握手をして帰って行ったよ!結局私はウィルメントに残ることにして、決まっていた次の転職先の仕事は断った」

その後ケンはロータス・コルティナ、ギャラクシー、ACコブラを駆るドライバーのジャック・シアーズ、ボブ・オーソフ、フランク・ガードナー、ポール・ホーキンスと共に働くこととなる。

「ポール・ホーキンスは親友の一人だった。彼が亡くなったときは本当に悲しかった」 ジャックは整備については疎く、ちょっとした問題があっても乗りこなし、あれこれと指示をするわけではなかった。そしてジャックがレースに勝つのを見て、まだ21歳だったケンは、自分の整備は完璧だと思いあがった。そんなケンの認識を変えたのが、才能溢れるホーキンスだった。「彼は私に「ストリング・メソッド(*アライメントの調整法)」を教えてくれた。4本の一斗缶、紐、巻尺があれば何でもできるとね!」

1967年、ウィルメントが工場を閉鎖すると、ケンは父親のガレージで仕事を始めることに。スパイク・ウィンターが加わり、ジョン・ワイヤーと共にJWオートモーティブ(JWA)を設立したジョン・ウィルメントが無料で貸してくれた、さらに大きな工場へ移った。ケンとスパイクは、その後皮肉にもかつてアストンマーティンのダイニングホールであった場所で、Racing Services (Engines) Ltdを設立する。「フル回転だったよ。みんながロータスツインカムエンジンを使っていたからね。ドライサンプ化して、1.5lに変換して、それに合うクランクも作った。フランク・ガードナーがタスマンシリーズに参戦した時のエンジンも手掛けたよ。その時彼は2位でフィニッシュしたんじゃなかったかな。」

1969-1970年、トゥイッケンナムに移った会社は、大成功を収めた。初期のクライアントにはブルース・マクラーレンもいた。「ブルースのCanAmエンジン用シリンダーヘッドをいくつも作った。一番いい時期は、F2エンジンを作っていた時かな。BDAの独自のバージョンも作った。丹精込めて作っていたから故障したエンジンは一つもないよ。」

このBDAエンジンはグラハム・ヒルのブラバムBT36に使用され、グラハムに多くの勝利をもたらした。その他エマーソン・フィッティパルディやジョディ・シェクターも、このエンジンを使用したという。Racing Servicesはまた、フォードに代わってツーリングカーチャンピオンシップ用V6カプリエンジンの開発も行った。

--{イネス・アイルランドやニール・トランドルとの衝突}--

Racing Servicesで働いている間、ケンはイネス・アイルランドやニール・トランドルなど多くの有名なレース関係者と衝突をしたという。しかしロン・デニスの名前が挙げられたのは驚きだ。マクラーレンでのロンの姿からは想像しがたい。

「イネスは私が知る中でも最も気性が荒い男だったね。ロンは若い時は本当にやっかいだった。1971年、F2のためにロンと南アメリカへ行ったときは、生きて帰ってきたことが奇跡だと思ったよ。まぁそれ以上はここでは言わないけれどね!」

1979年、ハートフォードシャーに会社を移し、ケンが自動車販売店を管理していた18カ月の間、スパイクが経営を任された。その後2人はシルバーストンサーキットでRacing Servicesを再建。9カ月に渡り成功を収めると、今度はブラックリーでレーシングドライバーのデイヴ・ブロディと共にBBW(Brodie/Brittain/Winter)MotorSportを設立。1983年から1985年にかけイギリスツーリングカー選手権で三菱スタリオン・ターボを走らせた。1984年、スパイクがヒストリックレーシングエンジンを作るため会社を去った後、BBR社はフォード・シエラRSコスワースとRS500を改良しブロディに多くの勝利をもたらした。

英国で最大手のチューニングメーカーとなったBBR社は、ロードカーのコンバージョンカーを多数提供した。1983年から1984年にリリースした改良型電子チップが主要製品となったが、1990年代後半になると不景気などにより販売数が激減する。「様々なチューニングやターボ装着の仕事に加えて、マツダのオフィシャルモデル、MX-5ターボを1000基以上は作った。でもその後業績が急激に悪化して、私は会社を去ることになったんだ」

現在ケンはサセックスでコンサルタント会社を設立し、エンジニアリングサービスを提供している。「今はモータースポーツには関わっていないが、すべてのレギュレーションを満たす2ストロークエンジンを開発したいと考えている。ごくシンプルな機械式システムになるはずだよ。でも始めるにはいくらか資金が必要だがね。誰か興味がある人を知っているかい?」

常にアイディアに満ち溢れるケンは、従来の考えを覆す革新的でコンパクトなマルチシリンダー軽量航空機エンジンにも取り組んでいる。今後が実に楽しみだ。



グラハム・ヒルのロンデル・レーシングF2ブラバムBT36(1971年コルドバ)。ニール・トランドルとロン・デニスの間でRacing ServicesBDAエンジンをチェックするケン


マクラーレンF1ロードカーを倒すべく開発された、エイドリアン・ニューウェイのBBRターボチャージド350bhpロータス・エリーゼとケン(右端)デイヴ・ブロディ(赤)


1964年セントメアリーTT、グッドウッドのシケインにさしかかるジャック・シアーズのウィルメントギャラクシー。背後に迫るのはロータス・コルティナに乗るジム・クラーク。2台のウィルメントカーがそれを追う。優勝はジャックが勝ち取った


初めて自らレストアをしたジャガーSS100を駆るケン


BBR社が生産したロータス・エリーゼ用クロスレシオギアセットとLSD 


後のNicholson-McLarenEnginesの共同設立者ジョン・ニコルソン


Racing Services(Engines) LtdのフォードBDAエンジン(フォーミュラアトランティックユニット)

Time With… IN ASSOCIATION WITH Chopard



編集翻訳:堀江 史朗 Transcreation: Shiro HORIE
原文翻訳:渡辺 千香子( CK Transcreations Ltd.)
Translation: Chikako WATANABE (CK Transcreations Ltd.)
Words: Paul Chudecki Photography: Michael Bailie

RECOMMENDEDおすすめの記事