ヌッチオ・ベルトーネがデザインした究極のショーカー|圧倒的な存在感を放つ正体は?

ストラトス・ゼロ



1960年代の終わりに話を戻そう。その頃、ベルトーネはその最盛期を迎えていた。60年から70年代は、いわゆるカロッツェリアが借金取りに追われながらワンオフのスペシャルモデルを製作するコーチビルダーから、量産可能な市販モデルをデザインし、さらにそれを製造するという"下請けメーカー"に変貌しつつあった時代である。気難しい天才、フランコ・スカリオーネが手掛けたアルファロメオBATなどのコンセプトモデルによって、このトリノのカロッツェリアは大胆で斬新なデザインの代名詞となっていた。いっぽう、スカリオーネの後を継いだジョルジェット・ジウジアーロは、シボレー・コルヴェア・ベースのテスチュード(1963年)などで、彼自身が独創的なデザイナーであることを証明していた。

そのジウジアーロが1965年にギアに移籍した時、ヌッチオ・ベルトーネがショックを受けたかといえばそうでもない。偉大なボスは既にジウジアーロの代わりとなる者を考えていた。それがほとんど独学かつ無名のマルチェロ・ガンディーニだった。当時27歳のガンディーニは、その2年前にも自分のデザイン画を携えてベルトーネの門を叩いていたが、若い新進デザイナーの絵には否定的という評判のジウジアーロは、ヌッチオ御大ほどには若者の才能を評価しなかったらしい。ちなみに、若いといってもガンディーニとジウジアーロはまったく同じ1938年生まれであるが…。
これが何十年にもおよぶ両者のライバル関係のはじまりである。最初は1966年のジュネーブ・ショーで"完成形"のランボルギーニ・ミウラが発表された後の例の話だ。厳密に言って、誰がその車のアウトラインを描いたのかについては長いこと様々に推測されてきたが、繰り返し言われてきたように、たとえガンディーニが、ジウジアーロが既に描き始めていたデザインの隙間を埋めただけだとしても、その後のベルトーネのショーモデルを見れば、彼自身の才能は自ずと明らかである。たとえばランボルギーニ・マルツァル、そしてアルファロメオ・カラボ、とりわけカラボは1970年代のスーパーカーのトレンドとなった"オリガミ"デザインの先駆けであり、ガンディーニのオリジナリティが表れている。

1970年代に時代のページがめくられようとする頃、ベルトーネはライバルのデザインスタジオに対して明らかに優位にあったと言えるだろう。ただし、少しも安心できる状況ではなかった。当時は、すべての有力スタジオがライバルよりももっと信じがたいコンセプトカーを造り出し、互いを出し抜こうと鎬を削っていた時代だった。ジウジアーロが新たに設立したイタルデザインは、ビッザリーニ・マンタやアルファロメオ・イグアナでその激しいゲームに参加、いっぽう従来は保守的と目されたピニンファリーナさえも、1970年のジュネーブに自由奔放なパオロ・マルティンの手になる「モデューロ」を出品したほどだ。皮肉なことに、その車は奇抜すぎるとして発表後間もなくスタンドから降ろされてしまった。ベルトーネが切り札を切ったのはその半年後のこと、後にもともとは内輪のニックネームだった「ゼロ」として有名になる車を発表したのである。

平均的なサルーンカーは文字通り「3ボックス」という言葉を翻訳したものだった時代に、ゼロのスタイリングは安易な形容詞を拒否していた。そもそも名前自体が量産を考慮してデザインされたものではないということを象徴している。ヌッチオ・ベルトーネはもともと「ストラトリミテ」(成層圏の果て)という名を考えていたというが、これも文字通りはるかな高みを目指したことを表現している。ゼロはそれまでのデザイン言語を超越し、塊から削り出されて滑らかに磨かれたような車だったが、一方で隅から隅まで機能的なマシーンでもあった。

伝説というものは出所が怪しい話ばかりだが、ベルトーネはゼロをできる限り簡潔に、できるだけ低い車を造り出そうとしたという。低い車はたとえ静止状態でもスピードを感じさせるからだ。全高わずか33インチ(約84㎝)のゼロは、たとえいかにも英国風の"プローブ15"(全高29インチ=74㎝)ほどではないとはいえ、非常にコンパクトな車である。ガンディーニの魔法のペンは、両端が大胆に先細りになった全体形と、ドアと見紛うような深く彫り込まれたエアインテークで強調されたウェッジシェイプ、そして三角形のルーフ兼エンジンフードを描き出した。車幅いっぱいに広がった薄いヘッドライトから84個の小さなバルブから成る細長いリボンのようなテールライトまで、ゼロはすべてがこの世のものとは思えない印象を与えている。太いタイヤとオフセットしたエグゾースト、露出したギアボックスケースも何か異様なものを表現しているのである。

この時代のコンセプトカーはガルウィングかシザーズドア、あるいは油圧作動で持ち上がる一体型のキャノピーがいわば定石だったが、いつも他人の一枚上を行くベルトーネは、ルーフ側にヒンジを持つ跳ね上げ式のウィンドスクリーンを採用した。ステアリングコラム全体も前方に折れるようになっており、シートに滑り込んだ後に引き戻し、ハッチを閉めるという手順である。またウィンドスクリーン下の黒い台形部分は実はラバーマットが採用されていた。乗り込む際に踏んでも傷つかないようになっており、ノーズに付いたランチア・バッジには"ドア"を開けるハンドルが巧妙に仕込まれている。外から想像する通り、ドライビングポジションは水平に近く寝かされており、乗員は前輪にごく近い所に座ることになる。本来の場所に落ち着いたドライバーには事実上前方の道路しか見えない。計器類はホイールアーチの後ろにオフセットして設置されている。グリーンのアクリル板の上に刻まれたメーターはパッと見て読み取りやすいようなものではないが、いかにも未来的な外観に相応しい。

ゼロのドラマチックなボディの下は、ランチアの既存のパーツで構成されている。事故で壊れたフルヴィアHFの1.6l V4エンジンをベルトーネ内製のシャシーにミドシップ。ドナーとなったフルヴィアからはエンジンだけでなく、その他のコンポーネンツも移植された。ストラトス・ゼロのリアサスペンションはリーフスプリングを使ったダブルウィッシュボーンだが、これはフルヴィアのフロントサスペンションを反対にして取り付けたもの。フロントは幅広いホイールフェアリングが、切り詰めたマクファーソンストラットを収め、ブレーキは四輪ディスクである。45ℓ入りの燃料タンクはエンジンの右側に二基のラジエターファンと共に押し込まれ、エンジンカバーには熱気を抜くためのブラインドが備わっている。

ゼロが単なるモックアップ以上のものであるということをアピールするために、ベルトーネはイタリアの自動車誌「クアトロルオーテ」にゼロを貸出し、ミラノの街中と郊外で実際にテストさせた。その際にただひとつ問題になったのは、限られた後方視界だった。小さなリアビューミラーはフロントのホイールアーチ後方に設けられたベントの中に沈み込んでおり、ルーフに取り付けられる潜望鏡式のミラーはまだ装着されていない。したがって、他の車のドライバーや通行人の反応は想像するしかなかったが、恐ろしく低いランチアは宇宙から墜ちて来た物体のように見えたはずだ。 


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