ヌッチオ・ベルトーネがデザインした究極のショーカー|圧倒的な存在感を放つ正体は?

ストラトス・ゼロ



大胆さで言えばヌッチオ・ベルトーネの右に出る者はいない。1971年の2月、彼はランチア・モータースポーツ部門を訪問した。コンペティション部門のボス、フィオリオが新しいラリーカーを強く要請していたことを受けて、ランチア会長のウーゴ・ゴッバートから詳しく見たいのでゼロを持って来てくれと頼まれていたのだ。もっとも、ベルトーネ自らが運転してサン・パオロ通りに乗り付けるとは誰も予想していなかっただろう。そこではものも言えないほど驚いた門番が、まるで理解できない異次元の物体をただ見つめるだけだったという。もし本当にその通りだったなら話としてはもっと面白いのだが、実際には広く一般に信じられている話とは違って、ゲートのバーの下を潜り抜けたのではなく、ベルトーネはその代わりに警備員が落ち着きを取り戻すまで辛抱強く待ち続けたらしい。そのうちコンペティション部門から皆が出てきて大勢の人だかりができた。そこでベルトーネは少し進んでエンジンを切り、ウィンドスクリーンを開けて颯爽と踏み出したのである。これで任務完了。間もなく彼は首尾よくストラトス・ストラダーレを生産する契約を結び、その瞬間からラリーはまったく別のものに変わったのである。

実際のところを言うと、ストラトス・ゼロと同じ名を持つ競技用車両の間には共通点は少ない。ガンディーニ自身が語っているように、彼の最大の仕事はベルトーネとランチアの橋渡しをすることだった。とはいえ、全体的な輪郭はできる限り維持された。その代わりと言うわけではないが、それは後にランボルギーニ・カウンタックLP400のベースとなった。普通ショーカーはまた別のショーカーに生まれ変わって、いつの間にか消えてしまうものだが、ゼロの場合は例外であり、おそらくトリノ・ショーの後にさらに有名になったと言っていい。ゼロは世界中をツアーして観客たちの口をあんぐりさせ、最終的にベルトーネのミュージアムに収められた。その頃にはボディはシルバーに塗り替えられていたという。

時代を超越していたゼロは20年近くも後の1988年の映画の中でも重要な役を務めている。マイケル・ジャクソンの奇天烈な映画「ムーンウォーカー」の中に、マイケルが変身する車(もちろん本物ではなくレプリカだが)という設定で登場しているのだ。

オリジナルカーのほうは2000年にスティレ・ベルトーネで徹底的なレストアを受け、その際にオリジナルのブロンズカラーに戻され、再びショーに姿を見せるようになった。だが10年ほど前、ベルトーネが経営危機に陥ったことによって一族の宝石は次々に売りに出され、結局ゼロも2011年5月にヴィラデステで開催されたRMオークションで76万1600ユーロの値で落札された。

ベルトーネが創立100周年を迎えた2012年に発表されたショーカーの「ベルトーネ・ヌッチオ」は記憶に新しい。随所にゼロのモチーフを復活させたその車のデザイナーはマイケル・ロビンソン。元ランチアのスタイリングチーフにして、その後ベルトーネのデザイン部門のボスに就任した人物である。彼がカーデザイナーを志したきっかけは他でもないストラトス・ゼロだった。カリフォルニア育ちの少年は、ある日ランチアを特集した雑誌記事に心奪われたのだという。何もかもが歴史である。すべては「ゼロ」という名前の車から始まったのである。


1970年 ベルトーネ・ストラトス・ゼロ
エンジン:1584ccV型4気筒DOHC、ソレックスC42DDHFキャブレター×2 最高出力:115bhp/6000rpm
最大トルク:113lb ‐ft(14.8kgm)/4500rpm トランスミッション:5段マニュアル、後輪駆動ステアリング:ウォーム&ローラー
サスペンション:前マクファーソンストラット、後ダブルウィッシュボーン、リーフスプリング、スタビライザー
ブレーキ:4輪ディスク 車重:710kg 最高速度:120mph(推定)




一般的なドアを持たないために、ゼロのドライバーは跳ね上げ式のウィンドスクリーンから乗り込み、その後ステアリングコラム全体を前方に倒してシートに滑り込まなければならない

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編集翻訳:高平 高輝 Transcreation: Koki TAKAHIRA
Words: Richard Heseltine Photography: Michael Furman

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