名作エンジンは陸と水を制する!? あのマセラティのエンジンを積んだパワーボートの実力とは

Photography: Henri Thibault

水面を疾走するパワーボート。速く走るために一切の無駄なものを削ぎ落としたその姿は実に美しい。そして、エンジン・コンパートメントには船体に勝るとも劣らぬ、美しい6気筒ユニットが搭載されている。

この"サンマルコ艇"にはネプチューンの神が宿っている。そう、マセラティのエンジンを備えているのだ。クルマ好きには釈迦に説法だろうが、マセラティを象徴するエンブレムには海を司る神ネプチューンが持つ三叉の銛、"トライデント"をモチーフとしている。それは、ボローニャのシンボルのひとつである『ネプチューンの噴水』に因んだものだ。路上だけでなく、水面を疾走するこの艇にもネプチューンのご加護が与えられるはずなのだ。

ミラノを訪れる人にとって重要な空の玄関口のひとつであるリナーテ国際空港の東隣には、広大な湖が存在している。地図が明らかにしているように、その長方形の形から、いかにも人工的なものに見える。種明かしをすれば、これもまた空港なのである。第二次大戦以前のある時期に、将来、水上飛行機が商用航空を担うことになるだろうとの考えから建設されたのだ。その湖畔にはボートショップも工房を構えている。ベネチアのモーターボートチャンピオンの座に着いたオスカル・スカルパも、1950年代後半にこの地に自身のサンマルコ造船所を創業した。

マセラティ・エンジンのボート
1963年のあるとき、ジョディ・ヨーストという少年が父親に連れられてこの工房を訪ねた。彼の父はランチア・アッピアの狭角V4エンジンを搭載したサンマルコ艇を所有していたのだ。サンマルコ艇はエアロダイナミックかつエレガントな美しいデザインを特徴とし、豪華なリーヴァと比べて遥かにスポーティーであった。

そこで、ヨースト少年は職人たちがマホガニー製の2座艇に真新しいマセラティ3500GT用エンジンを搭載する作業を目撃し、目を見張った。なんという美しい組み合わせだろう。速そうだ、と。

このサンマルコ艇の所有者であるマリオとミケーレのベルノッキ兄弟は、その艇に魅了された富豪であった。工房の主であるスカルパとマセラティは昵懇の仲で、彼のスピードボートのために、マセラティはレーシングスポーツカーの450S用に開発したV8ユニットを供給したほどだった。ベルノッキ兄弟が艇のパワーソースにマセラティの6気筒エンジンをに選んだのは賢い選択だった。道路であろうが水面であろうが、その高い性能は申し分なく、マセラティというアイコンは国際的な名声を備えていたからだ。

アルフィエーリの仕事
大成功した250Fグランプリカーを直系とする3500GTは、高性能なグラントゥリスモでありながら、日常使用にストレスを感じさせない厚いトルク特性を備え、高回転を好むフェラーリV12より扱いやすいと、多くの紳士を虜にしていた。

高出力と柔軟性を共存させるという設計思想は、マセラティのエンジニアリングを司るジゥリオ・アルフィエーリ技師の理念によるもので、しばしば「私のクルマでなら、早朝にモデナ工場を出て、夕方には疲れることなくパリに到着し、ホテルでシャワーを浴び夕食を楽しむことができるが、競合車にはこんな芸当はできない」と語っていた。

彼が自信を持つには理由があった。マセラティ3500GTにとって競合すると目されていたのは、フェラーリ、アストン・マーティン、ジャガーなどだったが、1963年当時、マセラティのグラントゥリスモはその高い性能に対してリーズナブルな価格に抑えられ、かつ上質な快適さを兼ね備えていたのである。

このマセラティ・グラントゥリスモの伝統を継承し、さらに快適性とパワーを向上させたモデルが、1963年のトリノショーでデビューした、"デュエ・ポスティ"(2座席の意)であった。それはピエトロ・フルアが手掛けた美しく先進的なクーペボディを備えていた。広いグリーンハウスとゆとりあるキャビン、大きなガラスハッチからアクセスできるカーゴスペースは広く、ご婦人を伴っての長距離旅行を高速で快適かつ優雅に楽しむことができるという、グラントゥリスモの必須条件を備えていた。

アルミニウム製の軽量ボディを支えるシャシーは、使い慣れたラダー構造から、トリノのマッジオラが角断面の鋼管を使って立体的に組み上げた新しいマルチ・チューブラー構造に代わり、剛性が増した。また、ホイールベースは2400mmと、先代モデルであるセブリングや3500GTスパイダー・ヴィニャーレより短く、運動性能が高まった。

フランスのマセラティ・ディーラーのコローネ・ジョー・シモーネの提案により、"ベルリネッタ・デュエ・ポスティ"は、南風を意味する"ミストラル"と名付けられた。

ツインカム6気筒、燃料噴射装置付きツイン・イグニッションのパワーユニットは3500GTの発展型で、排気量を3.7lに拡大して265PS(SAE)を発揮した。3500GTは3基のツインチョーク・ウェバーキャブレターを備えて登場したが、そのモデル途中からウェバーに代えてルーカス製メカニカル・インジェクションを採用した。しかし、コンペティションカー譲りのそのシステムは調整が難しいことから量産車に使うには疑問符も付き、アメリカではキャブレターに換装される例が少なくなかった。もっともインジェクションが完璧に調整されていればその性能は素晴らしく、イタリアの『クワトロルオーテ』誌のテストによると、227km/hのトップスピードと、0-60mph加速6.8秒を記録している。


マセラティにおける真のGTの定義とは、超距離移動に適した豊かなキャビンをもつこと。同じ1963年に発表されたミストラルとサンマルコ・レースボート(このレースボートは後にヨーロッパのクラスチャンピオンになる)。共に250Fグランプリカー用に開発された6気筒エンジンを搭載する

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翻訳:関根真理 Translation: Mari SEKINE Words: Gérald Guétat 

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