美しく蘇ったフェラーリ 375 PLUSの栄光と没落の歴史

フェラーリ375PLUS



1958年3月20日、ハイヴリーはキンバリーに代わり、その車を2,500ドルでカール・クレーフェに売った。クレーフェは年代物の面白い車や飛行機を収集しては、改造したり、手を加えたりといじくりまわしていた。フェラーリの大きなV12エンジンをV8に変えようとしていたらしいが、後回しになったまま時が過ぎ、やがて「0384」はクレーフェがシンシナティ郊外に所有する森のひとつに置き去りにされた。エンジン、少なくとも3つの大きなドラムブレーキ、エンジンカバー、トランクの蓋、そしてドアは取り外され、クレーフェの納屋に何年も埋もれたままとなった。部品がはぎ取られたシャシーとアルミ製ボディは太陽、雨、雪にさらされ、錆びていった。

1970年頃、カール・クレーフェはそのオリジナルエンジンをGMのエンジニアであるフレッド・レイドルフに売った。また何年かが過ぎたが、この「脅威のフォーナイン」は森に置き去りにされたまま、草木が空っぽのエンジン室にはびこっていた。

1989年アメリカ、ジョージア州裁判所。自動車ブローカーのガイ・アンダーソンはレストアラーのギャリー・ケリーから2人の前オハイオ州住民、ブラッド・ケトラーとエリック・ニールソンに紹介された時の様子を証言していた。ケトラーはこう説明した。「5年から8年前、シンシナティの郊外にある森の中をバイクで走っていると、何やらB20のようなものを見つけた。所有者を調べたが、これは何年もそこに放っておかれたものであることがわかったので、車を回収した。手を尽くして確認した後、この車は捨てられたのだという結論に至った。」

実際のところは、1989年1月13日頃この朽ち果てたフェラーリは、クレーフェの敷地から盗まれたのだった。車はジョージア州によって回収され、レストアラーであるケリーを介して、ケトラーとニールソンがガイ・アンダーソンに復元話を持ちかけた。アンダーソンはすぐにフランス人の買い手を見つけ、5万ドルを手にした。2月の初め、そのフレームとボディはベルギーのアントワープに送られた。カール・クレーフェが車を盗まれたとしてアメリカで届けを出すと、ベルギー当局は調査のため車を押収した。結果、車は正当に購入されたもので、欧州における所有権に問題がないと結論付けた。1990年2月、車は返却され、その翌月、ベテランレーサーであり、フェラーリの営業権を持つベルギー人、ジャック・スワーテルとそのパートナー、フィリップ・ランクスワートによって買い取られた。

アメリカではブラッド・ケトラーとエリック・ニールソンが逮捕され、車を盗み持ち去った罪で有罪となった。ケリーとアンダーソンも共謀犯として同様に起訴されたが、盗難車であることを知っていたという確固たる証拠がないことを理由に無罪となった。以来この輝かしい業績を残した車はヨーロッパに留まっている。



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