これが英国車?ランボルギーニと瓜二つのジャガー|ベルトーネ・ジャガー・ピラーナ

ベルトーネ・ジャガー・ピラーナ(Photography: Justin Rosenberg)



その後のピラーナ
ベルトーネは1977年のアスコットや最近のB99でもジャガーをベースにしたショーカーを製作している。そのときと同様、ピラーナ・プロジェクトに対してもジャガーからベルトーネへの支援はなかった。ライオンズはテレグラフの依頼に応えて、素材としてEタイプを1台提供したが、ジャガーに"イタリアンカー"を造る気は毛頭なかったのである。ピラーナはあくまで、新聞社がショーの目玉として造った車だった。こうしたプロジェクトは、現在ではとても考えられないことになってしまった。

したがって、ロンドンショーで華やかなスポットライトを浴びたあと、ピラーナに帰る家はなかった。ジョン・ハイリグの著書『Jaguar』によれば、「トリノとニューヨークのモーターショーに登場したあと、ニューヨークのパーク-バーネット・ギャラリーが1万6000ドルでピラーナを売却した」とある。新車のEタイプ2+2に対して約3倍の値が美術オークションでついたのは、ピラーナが動く芸術作品として認められた証拠だ。

その後の数十年間、ピラーナはイギリスやアメリカを転々とした。その間にマニュアルギアボックスがオートマチックに交換され、リアに"+2シート"が加わった。きらめくシルバーペイントも、街の塗装業者が「ブリティッシュ・レーシング・グリーン」と呼ぶたぐいの平凡なものに変わった。そして2011年2月にこの車を買ったのが、アメリカで自動車販売業を営むコレクターのエド・スーパーフォンだ。「特注のイタリアンデザインが大好きだ。それにピラーナは行方不明になっていた貴重な1台だからね」。

スーパーフォンの元に届いたピラーナは、欠品も腐食もなかったが、プロトタイプとして貴重な扱いを受けてきたとはいえない状態であった。40年以上が経過しても走行距離は1万6000マイル(約2万6000km)だったから、週末に少し乗るかイベントなどで展示する程度だったのだろう。室内は、ケアされずにただ古びた部分が多く、すべてに修復が必要だった。特に劣化を進行させたのが日焼けだった。熱を遮断するために三層の特殊ガラスが採用されていたが、紫外線は通過していたのである。

一般的なパーツにもさまざまな不具合が生じ、走りもよくはなかった。そのため、ロサンゼルスのフォーリン・スポーツ・テクニシャン社にエンジンと駆動系の徹底したオーバーホールを依頼したが、これには、発売当時の値段でEタイプ・シリーズ3の廉価版に匹敵するくらいの費用がかかった。オリジナルのトランスミッションはずっと前になくなっていたので、4.2Lエンジンだけは守るよう、特に慎重な作業が行われた。

モーターショーに登場した当時の状態を取り戻す上で最後のハードルとなったのが、ベルトーネの特徴であるシルバーペイントを再現することだった。独特の深い輝きを出す秘密をベルトーネは明かしていないが、現在の進歩した塗装技術がものを言った。数少ないオリジナルパネルの下には、まだ当時のペイントが輝きを失わずに残っており、それを分析することができたのだ。それでも、試し塗りを行ったり、同じ仕上がりになるよう吹きつけを重ねたりする工程を重ねた。その結果、数千ドルを投じて、ようやくピラーナは元の輝きを取り戻したのである。



どう見てもイギリス中部地方の生まれには見えない。これをジャガーだと思う人がいるだろうか?だが、ヒントはプロポーションにある

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編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.)原文翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA Words: Myles Kornblatt

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