ピンクフロイドのニック・メイソンの名車フェラーリ250GTがレースカーとして復活するまで

フェラーリ250GTO



コクピットから...マーティン・ブランドル
2010年のF1シーズンは過密日程で、ほかの約束もあったため、この年のグッドウッド・リバイバルに参加する予定はなかった。だが、マーク・ヘイルズからニック・メイソンの素晴らしいフェラーリ250GTOで一緒に走らないかと誘われて、すぐに気持ちが変わった。


私は事前に自分でテストしない限りレースに出ないという黄金律を数年前に作っていたのだが、移動のスケジュールからそれは不可能だった。GTO以外にもセント・メアリーズ・トロフィーでオースティンA35を走らせる約束もしており、このルールを2回破って、まったく違う2台でレースすることになった。

250GTOが非常に高価であることは承知していたが、それを運転すると話すと、友人からは決まって一言目に「クラッシュするなよ、大金だぞ」と脅された。また、モンツァでデビッド・クルサードやフランキッティ兄弟と食事をした際には、マリノがニックの娘婿ということもあり、とんでもない冗談が飛び出した。「シャシープレートまで曲がるようなことにならない限り、大丈夫さ!」と。

グッドウッド・ハウスでの晩餐会では、ニックの妻ネティ・メイソンと同じテーブルになり、そこで初めて自分が2000万ポンド以上の価値がある車でレースすることを知った。ネティには「あなたの老後の資金が頼りです」と冗談を言ったが、たとえ現実にそうなってもメイソン家が食べるものに困るようなことはないのだろう。

250GTOは、どこから見ても美しく、いかにも速さを追求したといった佇まいで、チャールズ・ニル -ジョーンズとそのスタッフの手で見事に仕上げられていた。最高のV12エンジンを予感させる巨大なテールパイプ。キャリアの中で素晴らしいマシンを走らせてきたが、それでも圧倒されるような存在感だった。

初めて乗り込んだときに真っ先に気づいたのは、ステアリングもシフトレバーもゲートもひどく大きいということだ。広くはないスペースに対して、すべて大き過ぎるように感じた。私は身長170cmなのでちょうど良かったが、シフトノブは右手を伸ばしてやっと届く位置だ。マークは私より背が高いので、体を縮めなければならない。また、カーボンファイバーのサバイバル・セルを見慣れている者にとっては、ドライバーの頭上にロールオーバーバーが1本だけというのはいかにも心細く、側面を守るものも、どうやら自分の肩と尻以外にはないようだった。

1回目の予選。集合エリアを離れると、パワーと音を存分に楽しみながら、250GTOで挑む最初のコーナー、マジウィックに飛び込んだ。ちょうどそのとき、スピットファイアが視界に現れ、ボンネットをかすめるかと思うような低空を飛んでいった。これ以上ない最高のスタートだ。

車のバランスは良く、パワーオーバーステアになる傾向は強かったが、制御可能な範囲だった。リバイバルのTTレースにはロケットのような車も出るが、それに比べればニックのGTOほぼ標準的だ。ハイスピードからの減速は嫌がり、バリアが迫ってくるのに元気にテールを振るのには焦った。エンジンは簡単に回転が上がるので、シフトダウン時のブリッピングは慎重にやる必要がある。

最初、ギアシフトに手を焼いたが、なんとか6番手グリッドを確保できた。こういう車の場合、まず少しずつ慣れていって長所と短所を見極め、それから自由に解き放つのが得策だ。コーナー手前では、ヘビーブレーキングのあとでスロットルペダルを優しく操ってリアを落ち着かせるのが一番いいと分かった。それにしても、どうして昔はこんなに大きなステアリングが好まれたのか、理解に苦しむ。ステアリングが重いわけではないし、素早く修正できたほうがずっとストレスが少なくて済むだろうに。

レース前にこの車を運転したのは金曜が最後だった。その間にレイ・デイビス所有の小さいが素晴らしいA35でレースをしたものの、ちょっと準備不足ではないかという気がしていた。GTOはトータルでたった25分間しか乗っていなかったのだ。

スタートでは勢いよく飛び出したが、結局ブレーキングでほかの出遅れ組とすし詰め状態になった。満タンでは挙動が違い、タイヤが温まっていないこともあって、最初の数コーナーは肝を冷やした。1周目のラヴァント入り口では、強盗に遭っているような気分になった。私が150mph(240km/h)で運んでいるダ・ヴィンチの名画を皆が寄ってたかって盗もうとしているような感じなのだ。誰かがノーズを私のインにねじ込んでくるたびに、慌てて飛びのいて道をあけた。貴重で高価な車を任されているということで頭がいっぱいだったのだ。

どうしてハンドリングがこんなに変わってしまったのか、なぜストレートで抜かれてしまうのか、訳が分からなかった。あとで、比較的単純な理由でフルパワーでなかったことが分かったのだが、レース通してそんな調子だったのだ。それでも、A35に比べたらまさにロケットだった。セーフティーカーが入ると同時にピットイン、入念に練習したドライバー交代も見事な出来栄えでこなし、マークの運転で1時間のレースを終えてみれば、5位という立派な結果だった。問題がなければ表彰台も簡単に手に入ったのだろうが、少なくとも車は無事だったのだから、すべてよしとすべきだろう。

この名車を運転するのは本当に素晴らしい経験だったが、サイド・バイ・サイドで競り合うのはそれほど楽しめなかった。ニックをはじめとして、リスクもある中でこうした車でレースをさせてくれる寛大なオーナーたちに心から敬意を表したい。


ブランドル/ヘイルズ組のGTOとデレック・ベル/ロス・ウォーバートン組のライトウエイトEタイプがマジウィック手前で丁々発止とやり合う


「車のバランスは良く、パワーオーバーステアになる傾向は強かったが、制御可能な範囲だった」とブランドル 


ピットレーンではつらつとした表情を見せるヘイルズ。グリッドは6番手。ミナシアン/ブライアント組のACコブラがすぐ後ろからスタート 


レース中盤のドライバー交代。ブランドルからヘイルズに替わる 


予選5位はレイホールで、写真のカーナンバー1のミナシアン/ブライアント組のコブラは予選7位


1962年フェラーリ250GTO
エンジン:2953cc、V型12気筒、SOHC、ウェーバー製38DCNキャブレター×6基
最高出力:295bhp/7500rpm最大トルク:30.0kgm/5500rpm変速機:前進5段MT+後退、後輪駆動ステアリング:カム・レバー
サスペンション(前):ダブルウィッシュボーン、コイルスプリング、テレスコピック・ダンパー、アンチロールバー
サスペンション(後):リジッドアクスル、半楕円リーフスプリング、テレスコピック・ダンパー
ブレーキ:4輪ディスク 車両重量:900kg 最高速度:282km/h(推定、ギアの設定による)

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編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.)Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.)
原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA
Words:Mark Hales  Photography:Steve Havelock and John Colley

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