1960年代のカスタム文化よ永遠に│スーパーバンを再生させる

この1台は1960年代カリフォルニアのカスタムカルチャーを象徴する。ある男と、息を吹き返したスーパーバンの物語だ。

私が小さな頃、家の近くに色んなものを売っている1つのショップがあった。タバコ、牛乳、キャンディー、変なものなどなど。8歳の男の子にとっては、モデルキットが置いてあるスペースが最も大事だったのだ。モデルキットと並んで、エナメルペイントやカスタム用のスプレーカラー、携帯の部品、ミニカーの部品なども置いてあった。

その中でも、1960年代カリフォルニアを感じさせるカスタムカーとホットロッドの小さなモデルカーが好きだった。ビッグダディロスやディーン・ジェフリンなど有名カスタマイザーの作品がたくさんあった。エド・ロスの"Rat Fink"Tシャツを買ってくれと親に頼んだのだが、Tシャツは下に着るものだから絵の入ったものなんて誰も着ないなどと言われて買ってもらえなった。長い時が経ち、Tシャツを手に入れたがコレクターアイテムだから着ることができない。しかし、Tシャツを見せられないことを埋め合わせるものを手にいれた。1960年代のカスタムカーだ。

1990年代、顧客が所有していたバットモビルのパーツを探しにロサンゼルスへ行った。そこで、ファンタジーカーと呼ばれた車を持っていたボブ・バッツに出会った。ボブは映画業界に変わった車を提供する人物として有名な人物だ。バットカーのパーツのことならなんでも知っていた。バット電話と、スウィッチ、もう手に入れることはできないオレンジのバットタグなどたくさん購入した。

ボブは素晴らしい車のコレクションを所有していて、私が今まで見てきた中でも一番だった。そして、彼はそのコレクションを売ろうとしていたのだ。その日に、注目に値する車数台も含め、ボブのコレクションのほとんどを購入した。1950年代のマーキュリーベルドーネプロトタイプも手に入れた。フォードのプロトタイプは、大半が消え去ってしまっているのだ。ジョージ・バリスのスーパーバンも嬉しい1台だ。



しかし、古くてメカニックもペイントもひどいことになっている車の数々を見て、修復にお金がどれほどかかるのかと気が遠くなった。スーパーバンも例外ではない。15回はペイントを重ねられたのではないかと思えるイエローのボディに、外れたシート... 数週間後、動かないから私のガレージまで運んできた。美しい車だが、なかなかレストアをおこなう時間が無い。しかし、生まれ変わることを待ち望んでいるように感じた。

数年後、レストアプロジェクトを撮影したいとテレビ局から連絡が来た。撮影は構わないけれど、26話にもわたりクライエントの車のレストア風景を映すのは、途中でクライエントの気が変わるかもしれないし、撮影させるから無料でレストアしてくれと言われるかもしれないし、あまり気の進むことではないと伝えた。そこで、スーパーバンのレストアを追ったらどうかと提案したのだ。

カナダ・オンタリオのスタジオへ移り、ペイントをレイヤー1つ1つ丁寧に落としていき、すべて記録に残した。色を見れば、どの映画で使われていたのかが分かるのだ。一番下のレイヤーはピンクとオレンジのツートンカラーだった。長い間、様々なダメージを受けてきたこの車のすべてを明らかにさせるには時間がかかったが、私はジョージ・バリスが手掛けたLove Machineの姿へと戻したいと思ったのだ。車内にはステレオ、電話、テープを聞ける機械、レコード大量に収納しておけるストレージがある。天井からはミラーボールが釣り下がり、真っ赤なファーのベッドに、ハート形のクッション。



エンジンは再製造され、ホイールもオリジナルへと戻し、スーパーバンオリジナルのプレキシガラスは残すことにした。後ろにはガラスが無く、スーパーバンは雨に対応していなかったことが分かった。スーパーバンはソーラー発電で動いているとジョージ・バリスは言っていたが、私たちが見つけたのはルーフにある3つのビスケットサイズのソーラーパネルだけであった。優れた空調調節や、ソーラー発電のためのエンジンもあると当時は話題であったがそんなものは1つも見つからなかった。ジョージ・バリスは空飛ぶ車を造ろうと周りと競い合っていたこともあった。一度も飛んだことは無かったが。





数か月にわたる26話のシリーズが終了し、スーパーバンのレストアも終わった。それから、ショーに出展させている。最近参加したショーでは、大いに人気を集めたのだ。1960年代の文化はまだまだ生きている。

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