ジャガーの新しい出発点 "カー・ゼロ"|新型ライトウェイトへの挑戦

Photography: John Wycherley, Nick Dimbleby



Back in the day
それは誰にも答えられない疑問。18台の生産を計画していたのに、オリジナルライトウェイトEタイプはなぜ12台しか造られなかったのか?

論理的な回答は、それが1ダース以上は売れなかったということだ。また、「ライトウェイトがフェラーリ250GTOより明快に優れていると言いきれなかった」からだとする向きもあるかも知れない。だが、それはちょっと違う。DタイプやEタイプ、GT40やフェラーリでのレース経験のあるピーター・サトクリフによれば、「適任者が適材を操縦すれば、勝つことはできた」。

1950年代のCタイプ、Dタイプでのレース絶頂期の後、少数のプライベートドライバーたちが、初期の市販型Eタイプでレースに勝利していたことを受け、遅まきながら後継車の可能性を探るようになるまでの長い間、ジャガーはレースから遠ざかっていた。Eタイプロードスターのスティールモノコックをアルミに変更して113kgの軽量化を行い、燃料噴射を備えたアルミ製3.8リッター直列6気筒を搭載するプロジェクトは1962年後半に始まった。GTカーとしてのホモロゲーション取得のため、ジャガーはライトウェイトを100台生産する必要があったが、スティールボディのEタイプをライトウェイトのオプショナルバージョンとすることで抜け道を見いだせた。ライトウェイトの1号車は、スタンダードのスティールボディをアルミボディに換装しただけのロードスターで、ロンドン南西部のギルフォードでジャガーの販売店を経営していたレーシングドライバーのジョン・クームズが"BUY 1"として登録し、その後"4WPD"として再登録された。この車は、なぜかライトウェイトがアロケートした18台分のシャシーナンバーのひとつは与えられず、オリジナルナンバーの"850006"を保持し続けたが、後日、頭に他の11台と同じSが付けられた。この極めて特別なEタイプについては、ジャガーエキスパートのフィリップ・ポーターが彼の新刊で言及している。それ以外の11台には"S850659"から"S850669"が与えられ、ブリッグス・カニンガムなど選ばれた世界中のプライベートドライバーに送られた。滑り出しは快調で、1963年にはグレアム・ヒルが、クームズのマシンでいくつかの国内レースで勝利した。写真はその時のものだ。ライトウェイトの開発は、1963〜64年も続けられた。注目すべきは、さらに空気抵抗を軽減させるためファストバックに改造された5号車と6号車だ。航空技術者としてエアロダイナミクスの専門家であったジャガーの設計者マルコム・セイヤーは、この重量増加か空気抵抗低減かの問題で長いあいだ悩み続け、クームズ所有の250GTOを借り出してそれをEタイプと比較分析し、1961年にワンオフのEタイプ・ロードラッグクーペを完成させた。

編集翻訳:小石原 耕作 Transcreation: Kosaku KOISHIHARA  Words: Mark Dixon 

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事