名匠ジオット・ビッザリーニによる、もうひとつの"250GTO"|イソ・グリフォA3/C

Photography:Gus Gregory



修理してみつかった華麗な経歴
シャシーナンバー0222の歴史についてはよく知られた過去のものに加えて、最近この車のオーナーになった、販売業者でありBRDC(訳註:ブリティシュ・レーシングドライバーズ・クラブ)加盟のレーシングドライバーでもあるグレガー・フィスケンによってまだまだ書き加えられることになる。

「本当にレースをするのにこれ以上素晴らしい車はない」と彼はいう。「1965年の当時は最高のスペックを持っていたんだ。リアのダブルウィッシュボーンは完全な独立懸架だったし、凜としたボディシェイプは空力的でもあった。ニュルブルクリングの北コースを500kmも走ったときなんか、ほとんどスロットル全開だったよ。最終的には290km近くまで行ったんだ。ラップごとに速くなっていく様を見ていたコースマーシャルが、後ずさりしていくのが運転していてわかったからね」

エンジンはシボレーのコンペティション部門から直接ビッザリーニに供給されていたが、この車は特別に50mm口径のウェバー・キャブレター仕様になっており、だから出力は450bhpにも達したのだという。そもそもイソ・グリフォは、大パワーもさることながら、シャシーもパワーに見合ったバランスのよいものだったし、燃料込みでも重量は軽かったから、真の偉大なるGTと呼ぶにふさわしい車だったのである。イソとビッザリーニは外観も酷似しているが、もしレンツォ・リヴォルタの資金が枯渇していなかったら、グリフォはもっと成功したモデルになっていただろうにと惜しまれる。

「私がその車を買ったとき、フロントランプが壊れていることを示すインジケーターが点灯していた。そこで我々はボディワークに手を入れて、オリジナルのキャレロ製ランプの装着方法に問題があることをみつけた。それからドアパネルも外したら、ル・マンで使うカーナンバーを照らすライトのために穴が開いていることもみつけたんだ。すぐにエンジンナンバーを控えてACO(訳註:フランス西部自動車クラブ、ル・マンのオーガナイザー)に電話をかけて調べてもらったら、1965年のエントリーフォームに載っていたものとまったく同じだったんだ。この車が元ワークスカーであることは疑う余地がないんだよ」

シャシーナンバー0222は最近、フィスケンからアメリカのコレクター、ブルース・メイヤーの手に渡ったが、そのときグッドウッドの近くに本拠を構えるヒストリック・オートモビルズ社というレストア会社にてサイモン・ブレイクが入念に整備した。ボディには1965年のル・マン24時間で付けたカーナンバー3が誇らしげに描かれている。

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words:Robert Coucher 

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