名匠ジオット・ビッザリーニによる、もうひとつの"250GTO"|イソ・グリフォA3/C

Photography:Gus Gregory



ジオット・ビッザリーニという人
読者の方はこれまで書いてきた中で、私がビッザリーニというブランド、およびイソ・グリフォA3/Cという車名にこだわっていることがおわかりだと思う。とくに後者には深い意味があり、ただただひたむきに仕事に取り組む偉大なエンジニア、ジオット・ビッザリーニの作品であることを表わしている。彼はピサ大学でメカニカルエンジニアとして鍛えられたあとアルファロメオで働き始め、実に見事なジュリエッタを仕立て上げた。そのあとフェラーリに移って250GTOの責任者になる。1961年、エンツォといざこざがあってフェラーリを去り、一時期カウント・ヴォルピが率いるATSに身を寄せ、その後、フェルッチョ・ランボルギーニのためにV12エンジンを設計する。そのとき実業家であるレンツォ・リヴォルタと出会うのである。1963年のトリノ・モーターショーでレーシングカー、イソ・グリフォA3/C(CはCorsaを意味する)がデビュー、それは事実上ビッザリーニによる"GTOMk2"とでも呼べるものだった。彼はフェラーリで学んだすべてをこの車に注ぎ込み、メカニカル面はもとよりデザインまですべてに改良の手を加えた。ビッザリーニは高回転型のイタリア製エンジンよりもシンプルなシボレー・エンジンを好んだと言われているが、そのV8のシンプルさのおかげで今日のヒストリックレースでも好位置を占めることができるのである。フェラーリの繊細なV12エンジンは少しだけ改善することはできるだろう。しかし古いコルベットのエンジンは元々が丈夫なので、50年たった今でもなお発展させることができ、おかげで500bhpくらいにパワーアップするのはたやすいのである。

イソ・グリフォの美しいフォルムは、ジョルジェット・ジウジアーロがベルトーネにいた頃に描いたものであり、ボディ製作はピエロ・ドローゴが指揮するスポーツカー・モデナ社が担当した。初期の試作ではボディはアルミ製だったが、ここにあるのはグラスファイバー製の最初のモデルである。軽い材質のように思われがちだが、同じ強度を得ようとしたら、グラスファイバーはどんな金属よりもわずかに重い。よく晴れたこの日のグッドウッドのピットでは、この車がアルミ製でないと言ってもなかなか信じてもらえなかった。強い日差しと深紅という色も手伝って、グラスファイバー特有のスムーズだが波打った面が見えにくかったからだ。それでもグラスファイバーとわかる手がかりはあった。金属製の車に見られるたくさんのリベットがないことだった。

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words:Robert Coucher 

無料メールマガジン登録   人気の記事や編集部おすすめ記事を配信         
登録することで、会員規約に同意したものとみなされます。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事