デ・トマゾ・マングスタ|その名に込められた宿敵の存在とは?

Photography:Jamie Lipman



デ・トマゾ自身はこのスポルト5000を量産するつもりだったが、GT40の開発を進めていたフォードがシェルビーを引き抜いてしまったため、結果的に1台だけが生産されるに留まった。このことをデ・トマゾは恨みに思ったらしく、彼は1966年に完成させたコンセプトカーにマングスタ(英語ではマングース)の名を与える。つまり、コブラ(シェルビーのことだ)を死に至らしめる動物、というわけである。

羽根を伸ばしたてんとう虫?
マングスタのデビューは1967年のトリノ・ショー。このとき、デ・トマゾはギアの支援を得て財政基盤が強化されていた。さらに、デ・トマゾの妻は、ローワン・コントロールズというアメリカ企業の取締役を務めていた自分の兄弟を説得、デ・トマゾ社の株式購入とギアの買収を決心させるとともに、マングスタをアメリカで販売する計画を立てさせたのである。やがて、モデナに工場を建設したデ・トマゾのもとには、アメリカから次々とオーダーが舞い込んできたという。

新工場は1968年の遅くに稼働を開始、1969年5月22日には第1号車がカリフォルニア州グレンデイルに住むオーナーのもとにデリバリーされた。私たちがテストしたのもアメリカ仕様だが、1基の4チョーク・ホーリー製キャブレターと組み合わされた排気量302cu -in(4949cc)のエンジンが生み出す最高出力は221bhpとも230bhpとも265bhpともいわれる。いっぽう、289cu-in(4727cc)ユニットをベースに、圧縮比を引き上げるとともにバルブタイミングを変更し、大径バルブおよび改良型ポートが与えられた最高出力305bhpのデ・トマゾ・チューン・エンジンを搭載した仕様も少数ながら存在する。

チューニングのレベルにかかわらず、5段ギアボックスはZF製のトランスアクスルタイプで、エンジンともども縦置きされた。これは、パワフルなエンジンをミドにマウントする当時のスポーツカーとしては標準的な選択だった。

これに関連して、マイク・トゥワイトは1969年の『Car』誌に興味深い文章を寄稿している。当時、パワフルなエンジンを縦に置くミドシップマウントのレイアウトは、レーシングカーでは一般的になっていたものの、ロードカーには存在しなかったというのだ。なるほど、縦置きミドシップであれば、ロータス・ヨーロッパ、マトラ・ジェット、マトラM530、そしてヴァレルンガなどの例があるものの、いずれもエンジン排気量は大きくない。それより排気量が大きなモデルとしてはランボルギーニ・ミウラやフェラーリ・ディーノが挙げられるが、どちらもエンジンは横置きである。つまりマングスタは、当時のル・マン24時間で総合優勝を狙うマシンと同じ成り立ちを持つ、初めてのロードカーだったのである。

もっとも、必ずしもそうとはいいきれない部分もあった。フェラーリLM、P3、P4はマルチ・チューブラー・フレーム、そしてGT40は深くて幅広なサイドシルが特徴的なスチール・モノコックが採用されていた。ところがマングスタのシャシーはヴァレルンガ用のバックボーン・フレームを改良したもので、剛性は決して高くない。しかも前後の重量配分は32:68と極端なリアヘビー。それでいながらステアリングはロック・トゥ・ロックで4 1/2回転もした。これだけでも恐れをなすには十分。少なくとも私には手強い相手と映った。

そこで、私はこう考えることにした。「マングスタはあくまでも美術品である。恐怖心は金庫に入れて鍵をかけ、心の奥底にしまっておこう」なにしろ、この車の最大の見どころは、エンジンルームの開け方にあるのだから。とりわけ、ボディがレッドで、細部をブラックで塗装されたマングスタ(今回テストしたのが、まさにこの組み合わせだった)は、いままさに飛び立とうとするテントウ虫にそっくり。コクピットからテールエンドまでのボディパネルは中央に伸びた支柱を軸として大きく左右に開くのだが、こうしたときのマングスタと羽根を伸ばしたテントウ虫がまさにうりふたつなのである。


5.0L フォードV8エンジンはZF製トランスアクスル式5段ギアボックスの前方に搭載されている。往年のグランプリカーを思い起こさせる眺めだ

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編集翻訳:大谷 達也 Transcreation:Tatsuya OTANI Words:John Simister 

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