なぜ「フォードGT40」は伝説のレーシングカーと呼ばれるのか?その秘密を探る

Photography:John S Allen,Ford,LAT



プライベートチーム
カスタマーチームに売られた最初のGT40は、1965年にボーンマスのF.イングリッシュLtdが購入した車である。その会社を率いるロニー・ホアー大佐がリスクを分散しようと考えて入手したのだ。というのも、彼は非常に有名なフェラーリ・インポーター兼レーシングチームであるマラネロ・コンセッショネアーズのオーナーでもあったからだ。間もなくその車は"FEL 1C"のライセンスプレートを取得し、ロードカーとして登録された。会社のイニシャルを含むライセンスプレートは、その後"フェリックス"というニックネームで知られることになった車と一緒に売却されたという。




アラン・マン
マーク2が上手くいかなかった場合のいわゆる保険として、英国フォードはアラン・マン・レーシングに委託してライトウェイト仕様のマークⅠを製作した。ボディとシャシーには可能なかぎりマグネシウムを含む軽合金が使用されたそのマシーンは確かに速かったが、新型マーク2には及ばず、またそのエンジンの耐久性も7Lユニットに比べて十分ではなかった。セブリングに続いて、1966年のル・マン・テストデイでも目覚ましい性能が得られなかったために、その後はテストカーに格下げされてワークスチームのレースカーとして使われることはなかった。そのうちの一台はオーストラリア人のポール・ホーキンスが購入、ZFからヒューランドのギヤボックスに換装されて、1969年までにいくつかの勝利を挙げた。




7Lエンジン
1965年初め、なかなか開発が進まないGT40に業を煮やしたフォードは7Lエンジンを投入する。だがそのパワフルなエンジンの重量が様々な問題を引き起こすことになった。ル・マンでは目を見張るほど速かったものの、頻発するトラブルがその希望を台無しにしてしまった。この写真で分かるようにエアロダイナミクスの問題は依然として解決していなかったが、大排気量エンジンを使う方向は定まった。1966年のデイトナ24時間レースに向けて5台のマーク2が作られ、初出場で見事に優勝を飾る。エンジンやギヤボックス(フォードT44型4段)、そしてサスペンションもバンク付きサーキットの強大なGに耐えきったのである。



編集翻訳:高平 高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA Words:John S Allen

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