なぜ「フォードGT40」は伝説のレーシングカーと呼ばれるのか?その秘密を探る

Photography:John S Allen,Ford,LAT



マーク3ロードカー
1966年、フォードはスタンダードのGT40をわずかにデチューンしたロードゴーイングバージョンを発表した。7000ポンドと高価だったが、そのパフォーマンスとレーシングカーさながらのハンドリングは衝撃的だった。しかしながら、米国の大半の地域ではその車は規則に合わなかった。低く取り付けられた四角いヘッドランプが法律に違反していたのである。続いてより文化的なマーク3が発売されたが、その製造品質が酷かったために雑誌のロードテスト記事で容赦なく批判され、マーク3は結局たった7台しか作られなかった。




G7A
1965年、フォードはマクラーレンの手を借りて、興味本位でカンナム・レースに手を出した。だがGT40は、たとえどのような改良が施されようとその仕事には重すぎて満足に戦えなかった。それに懲りずにフォードは再びマーク4シリーズをベースに挑戦したが、1969/70年Can-AmG-7Aは依然と同じく失敗作に終わった。ひとつには車重、また信じられないほど信頼性が低い試作エンジンのせいで、15戦に出場したうちスタートできなかったレースが5回、完走できなかったのは9回(1回のクラッシュ含む)という惨憺たる有様で、そのプロジェクトがさっさと見捨てられたのは言うまでもない。




F3Lの登場
1968年、フォードGBは別のアプローチを試みた。"フォード3Lプロトタイプ"というまったくパッとしない名前で知られる前面投影面積のきわめて小さいマシーン、別名F3Lである。DFVユニットのおかげで速さは十分だったが、信頼性が低いうえに空力に問題を抱え、操縦が難しい車だった。デザイナーのレン・ベイリーはDFVユニットをストレスメンバーとして使うことが許されず、余分なシャシーフレームのせいで重量が嵩んでしまったのだ。いつも1~2台でレースに出場しているうちに、1969年のルール変更によって時代遅れになってしまった。



編集翻訳:高平 高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA Words:John S Allen

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