マイクロカーとリーンマシーン|Jack Yamaguchi’s AUTO SPEAK Vol.4

トヨタi-ROAD

2012年グッドウッド・スピード祭典への旅の起点がブルックランズ・サーキットであった。ブルックランズは、1907年にオープンした世界で2番目に古い専用サーキットだ。また、英国航空産業拠点のひとつでもあった。現在は、旧バンクコースの一部、航空機と自動車博物館、英メルセデス・ベンツ・エクスペリエンスとモダーンなホテルがある。

グッドウッドまでは、メルセデス・ベンツ・クラシックの車を連ねて走った。コクピットの相棒は、同業ライターであり、自動車・航空機ヒストリアン、ミニチュアカー・コレクターの川上完さんであった。残念なことに川上さんは2014年5月に急逝した。グッドウッドまで乗ることになったメルセデス・ベンツ300SLガルウイングは、メルセデス日本広報担当者の粋な取り計らいによって提供されたものだ。前回、同様のイベントで、完さんはせっかくSLに乗りながら、ステアリングホイールを握っていなかった。

10年前、マツダRX-8のカリフォルニア試乗行で、私は完さんと組んだのだが、うっかりして公道走行の2/3を運転してしまった。その借りを300SLでお返しできたのだ。

RX-8トリップでは、完さんのもうひとつの知識分野である航空機歴史で教えられた。モントレー空港に着くと、格納庫前にどう見ても第一次世界大戦期の複葉双発大型機が駐機していた。その日のうちに、この機体が頭上を飛び去るのを見た時は、文字通り仰天し、早速、完さんに写真鑑定を頼んだ。

「第一次大戦中の英空軍主力爆撃機ヴィッカース・"ヴィミー"です。これはレプリカで、エンジンはオリジナルのロールス・ロイス・イーグルV12ではなく、フォードV8でしょう」

話はグッドウッド行の前日に戻る。川上完さんと私がブルックランズに来たのは初めてだった。さっそく、ふたりで先駆ドライバーたちがヴィンテージ・レーシングカーを駆り爆走したバンク一部を歩き、旧ヒルクライムコースを息せき切って登った。博物館の閉館までの1時間、屋内の自動車、屋内外の航空機展示場を駆け回った。

ネイピア・レイルトン、アルファ・ロメオ6Cエアロディナミコ、ブラフ・シューペリア、ノートン・マンクスなど垂涎の車群が並ぶ中、完さんが歓声を上げたのは、奇妙で小さなオープン三輪車であった。「ACソーシャブルだ!」と。

ACは"オート運搬車(キャリアー)"の頭文字で、1900年代、ロンドンのウエラー兄弟が資金後援者の勧めで製作販売した3輪の商用車であった。それは英陸軍が採用したほど信頼耐久性に優れていた。AC社に生産が移り、1907年に加わったのが乗用型"ソーシャブル"である。おどろいたことに、日本にこの珍車が1台存在し、完さんが鑑定をしていた。

AC社の主製品は、中級乗用車、スポーツカー、自社開発エンジンで、第二次大戦前にハーロック兄弟に経営が移った。戦後、兄弟が製作したのが鬼才ジョン・トヘイロ設計のスポーツカー・"エース"とクーペ型"アシーカ"だ。BMW設計、ブリストル航空機社製の直列6気筒を積んだのがエースとアシーカ・ブリストルで、ル・マン24時間レースでも活躍した。完さんのブリストル406と同エンジンだ。

ACエースに目をつけたのがアメリカのレーシングカー・ドライバー、製作者のキャロル・シェルビーで、シェルビー・"コブラ"が孵化する。私は、1960年代、ロンドン郊外テイムズ・ディトンにAC社を訪れ、ハーロック兄弟に話を聞き、コブラ・シャシー製造過程を見学、アシーカ・ブリストルに試乗した。この話は別の機会に記そう。

Kyoichi Jack Yamaguchi

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