言い尽くせない魅力がそこにある。|フェラーリ275GTBコンペティツィオーネ

疾走する275GTB/C。Cはコンペティツィオーネの意味。美しいサイドビューにスクーデリア・フィリピネッティの文字が映える広いキャビンは仕立ても素晴らしい。細いAピラーと広いグラスエリアのおかげで視界も良好だ



こんな逸話もある。ル・マンの車検の様子を何気なく眺めていたシュタイネマンはフォード・マークIVに乗る予定のマリオ・アンドレッティに声をかけられた。「彼は僕らのGTB/Cのワイアホイールを指さして、どうしてこんな骨董品が付いているんだと訊くんだ。あまりに心配そうなのできちんとこう説明したよ。マラネロが作ったものは.骨董品.に見えるけれど、厳格に製造された問題のない商品です。それまで275のコンペティション仕様は、3回にわたって作られた275(合計するとツインカムの275で440台)のうちの最後に作られたものです。パーツもこうした綿密な製造計画のもとで作られているので信頼性に問題はないはずです」とシュタイネマンは回想する。それでもなお部品の耐久性には細心の注意が注がれており、チーフメカのスバッロはブレーキパッドを1レースで少なくとも4回は交換する予定を組んでいたという(実際のところは注意深いドライブのおかげで2セットしか使われなかったが)。

アンドレッティの心配も杞憂に終わり、09079は快調にレースを走り、確実に順位を上げていった。スタート直後は34位だったものが9時間後には20位に上がった。美しいベルリネッタはフィニッシュ前には8位と同じくらいの速さを示して最終的に11位を獲得、GTクラスでは文句のない勝利を獲得した。

フィリピネッティはその年にジュネーヴに居を構えるジャック・レイに09079を売却。レイはそれから09079で二度ル・マンに出場したが、68年は7時間目の事故で、69年は5時間目にルール違反を起こして、いずれも完走はならなかった。彼が残した最良の成績は69年のスパ1000kmで、総合14位フィニッシュ、GT部門では2000-3000ccのクラス優勝を勝ち取った。

09079のレースへの参加は以上がすべてである。車はその後アメリカに渡り、主にカリフォルニアの裕福なオーナーたちの間で可愛がられた。ところが1985年にこのGTB/Cは格納されていた倉庫の火事でアルミのボディ上面が無残にも溶けてしまうという大きなダメージを被る。シャシーとメカニカルな部分にまで被害が及ばなかったのは不幸中の幸いだった。09079はやがてイタリア人のブルーノ・ザンベリに売られることとなる。凝り性のザンベリは完璧なレストアをすべくモデナに運び込み、カロッツェリア・ブランドーリの手によりアルミボディは完全に作り直された。

ザンベリは結局10年間所有したが、車はその後数人のオーナーの間を転々とする。その後09079が公に姿を現わしたのは2006年のペブルビーチだった。フェラーリ・コンペティションカー部門で2位を獲得、その後もグッドウッド・リバイバルやシルバーストーン・クラシック、トゥアー・オートにも顔を見せた。最近ではフェラーリからお墨付きともいえる. FerrariClassiche Certification.を獲得している。



編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words:Winston Goodfellow Photography:Pawel Litwinkski

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