とんでもなく手に余る航空エンジン搭載の「悪魔」フィアット・メフィストフェレス

Photography: Andrew Crowley



悪魔のモディファイ
メフィストフェレスの経歴を辿ってみることにしよう。これは最初から航空エンジンを搭載した怪物だったわけではないが、生まれつきのレーシングカーではあった。1907年にレース用シャシーの"SB4"に1万8000ccの4気筒エンジンを搭載して生まれている。ジョージ・アバクロンビー卿の注文によって、フィアットが2500ポンドの値で製作している。アバクロンビー卿の元に届けられたのは1908年のことで、ワークスドライバーのフェリーチェ・ナザーロがステアリングを握り、その年ブルックランズのモンタギュー・カップを制している。

だが、1922年にブルックランズのウィットサン・レースで派手にクラッシュしてしまった。その残骸をアーネスト・エルドリッジ(のちにアーネスト卿となる)が25ポンドで購入し、ブラウンリッジとジム・エイムスの力を借りてシャシーを20インチ延長し、余剰在庫だったフィアットの航空エンジンを搭載した。

当時から、既にメフィストフェレスのニックネームで知られていたこのフィアットが新たなエンジンで挑んだデビュー戦が、1923年6月、ブルックランズでのサマーミーティングだった。そこで"とんでもなく手に余る代物"であることを見せつける。ダンパーマウントを壊し、タイヤのトレッドがすべて剥がれてしまったのだ。エルドリッジが速度記録に挑戦したのはその翌年である。メフィストフェレスでレースをすれば、毎回ただでは済まなかった。トレッドを失う、タイヤがバースト、ドライバーも思わず叫ぶようなスリップ…といった具合だ。当時、ドライバーはヘルメットを被らず、ジャージとゴーグルという出で立ちが普通だが、エルドリッジは眼鏡をかけていたから、ゴーグルすらしていなかった。

アルパジョンで速度記録を樹立した翌年の1925年、エルドリッジは500ポンドを賭けたマッチレースに挑んだ。相手はレイランド-トーマスを駆るパリー-トーマスで、舞台はブルックランズだった。「ショッキングなほど危険」だったとビル・ボディは記している。メフィストフェレスでリードを奪ったエルドリッジは、バンクで身の毛のよだつようなスライドを繰り返し、観客が思わず逃げ出すほどだった。

その後、エルドリッジは、友人の"チャンピオン"ことガリー・ル・マズリエにメフィストフェレスを売却。マズリエはグリーンに塗り替えて英国ラグビー近郊の一般道で走らせた。その後あちこちを転々としたあと、1960年代後半にトリノにあるフィアット博物館が購入した。古いエンジンは修復不可能だったため、フィアット博物館に1台残っていたものをジャンフランコ・ダツィアが5年をかけてリビルドした(このエアロエンジンは1万3000台も製造された)。その際に使ったパーツはすべて同時代のもので、ベアリングを固定する菊ナットでさえ、同時期の機械から取り出したものを用いるという気の使いようだった。モンスターはこうして蘇った。


1923年フィアット・メフィストフェレス
エンジン:2万1706cc、直列6気筒、SOHC、1気筒あたり4バルブ/4プラグ、ソレックス製キャブレター×4基
最高出力:320bhp/1800rpm 変速機:前進4段ノンシンクロ、インテグラル・ディファレンシャル、チェーンドライブ式後輪駆動 
ステアリング:ウォーム・スクリュー
サスペンション(前):非独立式、リーフスプリング、フリクションダンパー
サスペンション(後):非独立式、リーフスプリング、ツイン・フリクションダンパー
ブレーキ:ドラム、後輪のみ 車重:1780kg 最高速度:235km/h


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編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA Words: Andrew English 

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