THE MINI STORY & my mini story|Jack Yamaguchi’s AUTO SPEAK Vol.5

THE MINI STORY



my mini story
私は、新旧ともにミニを所有したことはない。しかし、非常な親密感を抱き続けてきた。日本ではじめてクラシック・ミニに乗ったのは、故小林彰太郎CG名誉編集長である。ADO15発表の翌年、1960年にオーストラリア大使館の注文で到着した1台のミニを横浜港から運転されたという。一般向け輸入規制時代であった。 

私がはじめてミニに乗ったのは、1962年イギリスのレンタカー。雨の道路でドラムブレーキがロックし、見事にスピンした。同年のグッドウッド・サーキットで開催された恒例ロンドン・モーターショー・テストデーでは、発表ホヤホヤのクーパーに試乗、すっかり魅せられた。しかし、当時のイギリスは売り手市場、人気絶頂のクーパーなど、とても入手できなかった(それと英車の信頼性に疑問も)。

幸運だったのは、アレック・イシゴニスのミニに次ぐADO16・1100のオックスフォード郊外での試乗の際、イシゴニスご本人に会えたことだ。また、イシゴニスの盟友で、ミニ、1100、プリンセス、アレグロ、メトロ、MGFにいたるサスペンションを構想、開発したアレックス・モールトンとの40年にわたる交友を得た。1973年アレックスを最初に訪れた際、彼専用の元英空軍飛行場コースで試乗したのは、未発表の"ハイドラガス"圧縮気体バネ、液圧前後連結サスを装備したミニ、最適チューンした"ハイドロラスティック"・液圧減衰前後連結サス1100であった。「モンテ優勝ミニは、すべてハイドロラスティックだったよ」とは,彼の誇らしげな解説であった。

1995年、アレックス・モールトンは、BMWのローバー担当役員、ウルフガング・ライツェレに招かれ、英ゲイドンのロ−バー開発センターに出かけた。「イシゴニスとミニの構想、開発期を知る唯一の生き残りなので、偉大なる技術者と彼の車について話してくれというのだ」とアレックスに聞いた。

同時期に、ライツェレは来日している。目的は、ローバー・ジャパンのデイヴィッド・ブルーム社長に、「なぜ、先進技術が好きな国民性の日本で40年前の設計のミニがかくも売れているのだ。いったい、どんな販売戦略をとっているのか」と直問した。実際、一時期の日本のミニ年間販売数は本国を超えていた。日本のミニ総販売数については、確たるデータはない。推定、14万台くらいだろう。ちなみに、2014年末時点で、BMW期、新ミニの日本販売総数は17万台を超えた。

モールトン、ブルームともに、BMWとローバーが次期ミニを目指し製作した複数コンセプトを見ている。ローバーは、モールトンも関与したクラシック・ミニの幅拡大、K型OHCエンジン搭載の"MinkiⅡ(MiniとK合成名)"、リアミドシップの"スピリチュアル"を提案したが、ふたりはBMWデザインワークスUSAのフランク・ステファンソン(現マクラーレン・デザイン・ディレクター)のR50生産車に発展するエクステリアの選択は、すでに自明であったという。

Kyoichi Jack Yamaguchi

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