あなたの知らないオートモビリアの世界|AUTOMOBILIA 第1回

オートモビリア

オートモビリアについて書いてみたいと常々考えていた。「レストア」とか「旧車趣味」といった語に較べ、「オートモビリア」は、まだそれほど浸透していないように思えたから、というのは表向きの理由。正直に話すと、わたしがオートモビリアを好きでたまらないからである。

語彙
まず手始めに、オートモビリアを辞書で引くと、自動車関係蒐集品、とある。これを説明的に表現するならば、オートモーティブ・コレクティブル。すなわち、蒐集の対象となりうる自動車関連品、ということだろう。

断捨離の横行する日本でオートモビリアはなかなか市民権を得られない。それは、この「蒐集」という言葉の持つ語感によるところも大きいように思う。たとえば人と会う時、相手がコレクターだとわかると、わたしも苦手意識が先立って緊張からつい構えてしまいがちになる。

欧州における様相にも若干似たような香りを感じる。一例を挙げてみよう。

1990年にドイツで発売されたボードゲームに「貴族の務め」がある。発売と同時にゲーム大賞に輝いたその内容は、オークションを中心にコレクションの充実を競うもの。しかも子飼いの探偵や泥棒までを駆使するところがユニーク。それが「貴族の務め」というものらしい。日本でも戦前は華族たちが蒐集にはげみ、現在われわれはその成果を美術館や博物館でたのしませてもらっている。

これからこのコラムで採りあげるのは、それほど大上段に振りかぶったものではないのだが、オートモビリアのたのしさについて、その片鱗だけでもお伝えできれば、と願ってやまない。

文明と文化
初回に免じて、もう少し概念的な論述におつきあいいただきたい。

全てのものは文明的側面と文化的側面を備えている。文明を機能、文化を情緒、と意訳するとふたつの違いがはっきりしてくる。クルマも同様、文明的な価値と文化的価値から成り立っている。文明、すなわち機能価値とは、クルマを使うことによって享受する価値、そして文化的価値とはクルマを所有することで充足される価値、とそれぞれ短絡しても大きく外れてはいないと思う。

戦後の日本は文明価値偏重の社会である。機能刷新の名目の下、首相官邸までも建替えてしまうような国は、アメリカを含む先進国では異例である。その極端が、ごく普通にまかり通っている。わたしは、棄てずに守る範疇を少し広げるだけで日々が豊かになる、と信じてやまない。所詮オートモビリアとは、文明的視点に立つと役に立たないものばかり。これからその役立たずをとりあげていくのだから、つい前段に力が入ってしまった。お許しいただきたい。

前ふりはこのくらいにして、どのようなものがクルマに関わる蒐集対象として一般的なのか、次項以降でみていくことにしよう。

文、写真:板谷熊太郎 Words and Photos: Kumataro ITAYA

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