国有化されたアルファ・ロメオの窮地を救った「ジュリエッタ・ファミリー」

ジュリエッタ・ファミリー

コンパクトながら、上質で個性あふれるアルファロメオ・ジュリエッタが初めて発表されたのは、60年以上も前のことであった。以来、この初代ジュリエッタをテンプレートとしてさまざまなモデルが生まれていった。

すでに60周年超
信じられないような音だ。割れるようなサウンドは、耳だけでなく頭の中にまで響き、金属がぶつかり合っているのかと一瞬思わせるほどだ。
ボンネットの中を見ると、このサウンドの正体がわかる。エンジンの片側には、4個のインテーク・トランペットを備えた2基のウェバー・キャブレターが収まり、もう一方には、エグゾースト・マニフォールドのパイプが蛇のように這っている。わずか1290ccながら、DOHCを内蔵するシリンダーヘッドのサイズは巨大で、大きな存在感を示している。見た目もサウンドも最高水準の4気筒エンジンだ。

私たちの目の前にあるのは、ジュリエッタSZ。ジュリエッタの中でも最も希少で速く、そして最も多く勝利を挙げた車だ。

1954年にデビューしたジュリエッタは、2014年で60周年を迎えたが、これを記念して「ジュリエッタ・フェスト」が開催された。この会場で、私たちはSZを眺めている。SZはジュリエッタの中でも最も優れたダイナミック性能を備える車だが、そのメカニズムはベルリーナと共有されている。

開発資金の調達から
第二次大戦前、アルファロメオは大型で高性能なモデルを少量生産していた。戦後、アルファロメオはこの企業形態を転換し、大量生産に移行した。だが、アルファが造ろうとしたのは平凡な大量生産車ではなかった。ジュリエッタは戦前のアルファロメオが持つ美しさ、力強さ、そして官能的なサウンドと感触を、よりリーズナブルな価格帯で実現させようとしたモデルだ。このジュリエッタは大成功を収め、40年間にわたり4世代のモデルのベースとなった。アルファロメオの魅力をコンパクトなボディに詰め込んだその技術に加え、ジュリエッタは開発計画の資金の出どころについても興味深いストーリーを秘めている。

ジュリエッタ・ベルリーナは、戦前に手作業で生産していた高級車が売れなくなった戦後の市場に向けて、アルファロメオが転身を遂げるための重要なモデルだった。ジュリエッタを発売する以前の1950年、量産車メーカーへの転換を図るモデルとして1900を発表している。1900ベルリーナは、米国が推進した欧州復興計画、マーシャルプランによる融資を使用し開発されたモデルだった。成功作ではあったが、大きな収益を上げることができなかった。アルファロメオ伝統の高性能なツインカム・エンジンを搭載しながら価格を抑えた魅力的なモデルであったが、それでもなおマーケットには高額すぎた。より小型で、よりリーズナブルな価格の車が望まれたが、それを開発するための資金がアルファロメオにはなかった。


バロッコ・テストトラックに集合したジュリエッタ・ファミリー。左下から時計回りで、SZ、スパイダー、スプリント・クーペ、ベルリーナ、ベルトーネのスプリント・スペチアーレ

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編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:渡辺 千香子(CK Transcreations Ltd.) Translation:Chikako WATANABE (CK Transcreations Ltd.) Words:Richard Bremner Photography:Alfa Romeo

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