サハラ砂漠をフェラーリ・テスタロッサで走ってみてわかった3つの注意点

フェラーリがサハラ砂漠を行く



いざ、最後の行程へ
蜂蜜をたっぷり盛ったモロッコの伝統的なパンケーキにフルーツという翌朝の朝食も素晴らしかった。太陽はすでに自分の仕事に精を出し、暑い一日になりそうだった。ところがいざ最後の行程に出発という段になって、フェラーリはまたもスタートしようとしない。今度はミントティーもデスビキャップを掃除するという手も通用しなかったので、プラグを外してみると両バンクとも火花が飛んでいない。イモビライザーの不具合と推測して、インテリアパネルを外して配線と格闘すること一時間あまり、グローブボックスの奥に外れた配線を発見し、それをつなぎ直してみたところフェラーリは無事に息を吹き返した。

20マイルほど走ったところで壮麗なリッサーニの街の門が現れた。この街はいわば文明の最後の砦である。間もなく舗装路は終わるが、私たちの最終目的地はさらに10マイルほど先である。それにもかかわらず、街から先の道路はこれまででもっともスムーズで一本の矢のように伸びている。路面は砂漠の熱で揺らめき、私たちを誘っているかのようだった。飛ばせば飛ばすほど活き活きとするテスタロッサに最後の鞭を入れる時である。

サハラ砂漠
見通しの悪いコーナーを回った途端に、ピンクとオレンジのサハラの砂丘が地平線から忽然と姿を現した。その時の幸福感は経験したことのないものだった。長い航海の末に陸地を発見した船乗りもこんな風に感動するのだろうか。このためにはるばるやって来た甲斐があったと思わせるその砂丘は、遠く離れたところからも恐ろしく巨大であることが分かった。さらに数マイル進むと、ホテル・ヤスミナの倒れそうな看板を見つけた。それは何もない砂漠の真ん中を指示していた。ホテルはあまりに僻地にあるために番地さえなく、地図上の座標が与えられているだけだ。

20年前にリチャード・ブレマーと512Mが滞在したホテル・ヤスミナのオーナーは2WD車でもたどり着けると請け合ってくれていた。少なくとももう一台のフェラーリがかつてそこを通ったのである。路面は硬く、岩や干からびた鳥の死骸のような障害物もほとんどなく、これなら4WD車でなくても走れそうだった。だが路面は容赦なく波打ち、すべてのものを粉々に砕いてしまうような振動をあと10マイルも我慢しなければならないかと思うと弱音を吐きたくなった。セカンドギアで這うように進んだ最後の行程は40分もかかったが、だがそれで終わったわけではなかった。巨大なオアシスが不意に現れたが、そこに至る道が見当たらない。ヤスミナにたどり着いたが、それはまだ蜃気楼のように手が届かないのだ。


モロッコの道路状況はおおむね良好で文化的、ただしもちろんすべてではない。ガソリンの値段は驚くほど安かった。道路には荷物を積み過ぎたトラックからラクダまであらゆるものが行き交う


編集翻訳:高平 高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA Words:Harry Metcalfe Photography:Justin Leighton

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