サハラ砂漠をフェラーリ・テスタロッサで走ってみてわかった3つの注意点

フェラーリがサハラ砂漠を行く



フェラーリに乗った馬鹿な英国人がサハラで迷子になっているという噂が風に乗って伝わっていたのか、地元の少年が壊れかけたスクーターに乗ってやってきた。私は車から降りて、ホテル・ヤスミナに行きたいのだが、テスタロッサで行ける道はないか?と何とかひねり出した怪しいフランス語で説明すると、そのうちのひとりがわずかな小遣いの代わりに案内してくれることになった。それは実に奇妙な行列に見えたに違いない。オンボロのモペッドに乗った民族衣装の少年が凸凹道でフェラーリを先導しているのだ。彼はオアシスを大回りする石ころだらけの土手に登っていった。有難いことにテスタロッサは比較的ハイトの高いタイヤを履いている。現代のロープロファイルタイヤなら、こんなところを走ることはできなかっただろう。

実際にフェラーリは、きわめて頼りになる相棒であることをこの長旅で証明した。想像よりずっと快適なうえにミドシップカーとしては信じられないほどスペースもあり、さらにたった1Lのオイルを消費しただけで、クーラントはまるで減らなかった。エアコンがきちんと働くことも1980年代のスーパーカーとしては奇跡的と言える。モロッコの道路は覚悟していたよりもさらに過酷だったが、出会ったモロッコの人々は皆親切で礼儀正しかった。気づくと我々の小さなガイドはスクーターを停め、ホテルへと続く細い一本道を指差していた。

フェラーリは目的地にたどり着いたが、私の頭はそれを完全に理解していたとは言い難い。コッツウォルドの自宅を出発した時には家の前の砂利道に霜が降りていた。それからわずか4日で2000マイルを後にして、私の目の前には息を飲むようなサハラの砂丘が数千マイルにわたって広がっている。少しずつ静かな満足感が広がっていった。テスタロッサでサハラにやって来た。20年前、リチャードはある程度のファクトリーサポートを受けながら真新しいフェラーリでここに来た。私は最低限のツールボックスと漏れ留めのラドウェルド一缶、それから牽引ロープと万一のためのクレジットカードだけを持って、28年前のフェラーリでたどり着いた。それを自慢するつもりは毛頭ない。単に愚かな旅行だったかもしれない。何しろ数日のちには再び、長い道のりを引き返して家に帰らなければならないのだ。 だが今は車を停めて素晴らしい砂漠の宿を存分に楽しむことにしよう。もっとも、ここにたどり着くための道のりほどに楽しめるかどうかはわからないが。

編集翻訳:高平 高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA Words:Harry Metcalfe Photography:Justin Leighton

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