ビル・ミッチェルの"シルバーアロー"とメガバイク|Jack Yamaguchi’s AUTO SPEAK Vol.6

ビュイック・リヴィエラ・シルバーアロー3

デトロイト北方スターリング・ハイツのGMヘリテージ・センターはGM史の宝庫である。ここで懐かしいビュイックのコンセプトカーに再会した。

GMへリテージ・センターは、GM歴史的車群と多数のメモラビア記念物を蒐集し、完備した資料室を持つ。一般公開はしていないが、予約によりイベント見学は可能だ。

そこで40年ぶりに再会したのがGM2代目デザイン役員、ウィリアム・"ビル"・L・ミッチェルが手掛けた1972年型ビュイック・リヴィエラ・"シルバーアロー3"だ。『銀の矢』は、メルセデス・ベンツのグランプリ・レーシングカーの名称でないかと訝るかもしれない。シュトゥットガルトの車群は、きちんとしたドイツ的記号のW-XXXが与えられ、総合的にニックネームとして奉ったのが"銀の矢"だ。これに対して、ビル・ミッチェルは1963年の初代から堂々と"シルバーアロー"を名乗っていた。

私の"3"の思い出は、鮮烈、いや強烈だった。私は1970年代初半から、ほとんど毎年のようにGMデザイン・センターにビル・ミッチェルを訪ねていた。GMデザイン全盛期であり、一方で激変の時代であった。GM新型車数種については、ミッチェル御大がスタジオを回りながら説明してくれた。しかし大半は腹心部下に命じていた。

「チャック(ジョーダン、4代目VP)、説明してやれ」、「ジェリー(パーマー、コルベットC4のチーフデザイナー、その後デザインNo.2)、連れて回ってくれ。技術部にいって1台引っ張り出して…」と、実際に車が出てきて、広大な構内で試乗もできた。

多くの場合、私がミッチェルに会う目的は、共通の趣味、モーターサイクルであった。もっとも、私は1台持つのが精一杯だが、ミッチェルは常に両手の指数くらい持っていた。名車、歴史的意義ある車というより、最新のレーシングモデルを含むスーパーバイク級を買った。所有するだけでなく、その上に彼独自のデザインを創り上げる。カスタマイジングの域を超え、GMデザイン式過程でやった。スケッチ、フルサイズ・テープドローイング、クレイモデルを経て、製作にかかった。

彼は、広大なGM技術センターから離れた典型的な庶民住宅地域のハイウェイ沿いの平長屋店群の一軒を借り、置き場にしていた。隣は花屋だが、ミッチェルの秘密部屋に看板はなく、ドアと窓にはブラインドがかかっていた。

このワンルームに、彼のスーパー/メガバイク・コレクションが収まっていた。壁には1台ごとにカラーマッチしたライディングスーツ、ヘルメットが掛かり、キャビネットには同系統色ブーツを揃えていた。

電動リフト付きの派手なパターン塗装を施したGMフルサイズ・ピックアップ、名付けて"ドラゴン・ワゴン"がバイク2台を運んだ。サーキット試乗とレース観戦用にバイク2台を載せ、整備工具完備、ルーフプラットフォームを備えた大型バン、"サーヴェイヤー"が待機する。

Kyoichi Jack Yamaguchi

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