ビル・ミッチェルの"シルバーアロー"とメガバイク|Jack Yamaguchi’s AUTO SPEAK Vol.6

ビュイック・リヴィエラ・シルバーアロー3



その日、ミッチェル御大が新しい素材車(市販車を完成と認めない)を入手したので見せるという。デザイン役員ガレージで足として選んだのが、彼のシルバーアロー3であった。このGMコンセプトカー・シリーズは、1963年の同名"I"から始まった。Iは生産車のルーフを2インチ(5cm)切り落としたが、3はさらに低めた。カスタマイザーのチョップドルーフに近いが、そこはGMデザイン・コンセプトカーで、ユニークながら新しいバランスを生んだ。カラーは、ミッチェルお気に入りの青がかった銀で、インテリアトリム、シートも同系色だ。この低さにもかかわらず、意外に乗降と居住性は損なわれていなかった。

公表されてはいなかったが、「NASCARチューンエンジンを放り込んだよ。500hpは出ているろう」と言い放ったが、排気音は轟音に近い。テクセンと略するGM技術センターの広大な敷地には、パトロールが巡回していたが、見て見ぬふり。いや、見知っていたので、近づいてこないのだろう。

この日、ドラゴン・ワゴン・ピックアップに積んできたのが、ホンダCB750ベースの"ブラック・ナイト"で、名の通り黒い鎧(ボディ)と兜(フロントフェアリング)をまとっている。他の1台は、イタリアのラヴェルダ750ツインで、SOHC2気筒エンジンは本田宗一郎社長が発案した『神社仏閣』スタイル角形状を拡大したような外観を呈していた。

当時のバイクは、現代風にいうネイキッド、裸タイプで、機能ヘッドランプ、タンク、シート、フェンダー機能部品をフレーム上に架装していた。ビル・ミッチェルは、バイクにもボディが必要であると主張していた。1975年、BMWがR90Sビキニカウリング、77年にR100RSフルカウリングで、現在にいたるトレンドをつくった。2車の仕掛人は、GM出身のBMWマーケティング製品企画役員ボブ・ラッツであった(その後、欧フォード社長、クライスラー社長を経て、GMに副会長として復帰した有名なカーガイ)。

バイク同好の友であったラッツは、ミッチェルをミュンヘン近郊テストコースに招き、R100RSを試乗に供した。フルカウリングのスーパーバイクに一応感心したミッチェルだが、持ち帰ったのはネイキッド R100Sだった。この上に真紅のボディをデザインし、"レッド・バロン"と名付けた。第1次世界大戦ドイツ空軍エース、マンフレッド・フォン・リヒトホーフェン男爵の複葉機にヒントを得たワイルドなデザインであった。ミッチェルの役者ぶり躍如たるものがあった。

さて、秘密基地で見たのは、入手したばかりの希少新車2台だ。1台がハーレーダビッドソンXLR900限定レーシングである。ミッチェルは、GMデザインのコンセプトカーとペアを組むメガバイクをデザインし、PRに用いた。そうなると、正式プロジェクトの一部なのでGMデザイン内の工房が使え、デザイナーのアルチザンが志願し、作業した。XLR900は、C3コルベットと組み、2、4輪ともに"スティングレイ"を名乗った。

2輪のGP超人ライダー、イタリアのジアコモ・アゴスティーニは、MVアグスタ車で世界チャンピオンシップ最多優勝を果たした。その彼がMVを離れてヤマハに移り、1974年、アメリカ最大レース、デイトナ200で超弩級市販レーサー、TZ750(プロトで700ccという)を駆り優勝した。ミッチェルは、デイトナに出かけ、アゴスティーニにホンダCB500"バンシー"見せたが、なんと彼自身もすでにTZ750を注文していた。これが、秘密基地内にストックのままで置いてあった。

翌年、訪れた際、「あのモンスターバイク、TZ750(水冷2ストローク並列4気筒750cc)をどう料理したのですか」と問うた。「GMのテストコースで乗った。うちの連中が青くなっていたよ」と。真顔になって「しかし、TZ750は究極のレーシングマシン。私は手をつけるべきでないと悟った。レーシングバイクは、シリアスなレーシングライダーが乗るべきだ。将来を嘱望された若手に、彼の手の届く値段で譲ったよ」と続けた。

ミッチェルは、CB500バンシー、CB750ブラック・ナイト、そしてエンジンと足回り以外すべて新設計、デザインしたCB550"イエロー・ジャケット"(蜂の一種)など、多くのホンダ車を素材とした。

GM新型車デザイン取材の際、製作中だったイエロー・ジャケットを見ることができた。デザイナーを買ってでたのがオールズモービルのチーフデザイナー、デイヴ・ノースだ。なんと、CB550の鋼管フレームではなく、アルミモノコックを自作した。エンジンは、イギリスの有名チューナー、ダンストールの部品を組み込んでいた。

初代シビック・インテリア・デザイナーで、その後アメリカ・ホンダ研究所創設のためカリフォルニアに渡った大塚紀元デザイナー(当時)から聞いた話だ。彼もミッチェルのメガバイク群を知り、GMデザインを表敬訪問し、意気投合した。GMはホンダ車を買ってくれていた。そこで、ホンダも研究用にGMのスポーティ車を1台購入することにした。本田宗一郎社長にそのポンティアックを見せたところ、「なんという車か」と社長は問うた。
「"ファイアーバード"です」

すると、本田社長はすかさず「おう、焼き鳥か」とウィットで返したという。

Kyoichi Jack Yamaguchi

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