もしもコンセプトカーのデザインに、フェラーリエンジンを載せたら|ランチア・ストラトスという奇跡

Photography:Matthew Howell

運動性能を最優先にしたシャシーレイアウトに、コンセプトカーのようなスタイリングのボディ、それにフェラーリ・エンジンを載せてラリーウィナーに仕立てる…。ランチア・ストラトスはそんな突飛な発想から生まれた。現役を退いてからもその人気は高い。

まずは写真をご覧いただきたい。これがおそらく世界で最もオリジナルのまま、まったく手が加えられていないストラトスだ。

だが、その貴重な車に対してカメラマンはなにを思ったのか、派手に水しぶきを上げる姿を撮りたいといい、大きな水たまりの後方でカメラを構えた。1回目は失敗。「外れていたぞ、この※△$◎#!」そういわれた私は、マルク・アレンを真似て、"マキシマムアタック"で2回目に挑んだ。今度は成功。カメラマンはずぶ濡れになり、運転する私は心臓発作を起こしそうになった。次はもう少しゆっくりいこうと心に誓う。

どんなスーパーカーに対してもこんな手荒な真似をするわけではない。ストラトスはうわべの格好良さを追求した普通のスーパーカーとは違う。敵に後塵を浴びせかけて先頭を突っ走り、ラリーでの勝利を唯一の目的に誕生した車なのだ。ストラトスの開発や戦績については前稿に譲ったのでご理解いただいたことだろう。

ストラトスの輝かしいワークスとしてのキャリアは短く、1977年秋に退職を申し渡される。フィアットは、量産車に似た車で参戦するほうが理にかなうと判断し、ファミリーセダンの131をベースにした131アバルトを仕立て上げた。ランチアとフィアットのコンペティション部門は合併され、トリノにあるアバルトの屋根の下で131に全精力を注ぐことになった。ストラトスの生産は、1975年5月に正式に終了しそれまでに製造された数は、492台(457台の説もある)といわれている。

1977年以降はワークスでの参戦は断続的に続いた。社内の方針もさることながら、ルールが変更され、24バルブへの改造は認められなくなり、オリジナルの12バルブ仕様に戻さなければならなかったのだ。1978年10月にサン・レモでアレンが獲得したのが、ワークスとしてのWRC最後の優勝となった。しかし、翌年1月のモンテカルロでは、プライベートで参戦したダルニッシュが大番狂わせの優勝を果たす。同年10月のサン・レモでも、ジョリークラブのアントニオ・ファッシーナが優勝。これがストラトスにとってWRCでの最後の勝利となった。ストラトスはその後も強さを見せ、なんと1982年にも、ヨーロッパ・ラリー選手権のエルバ島ラウンドでファブリツィオ・タバトンが優勝している。

こうして、伝説的マシンはその使命を果たし、後輩に道を譲った。1980年代には、ラリー037やデルタS4が再びラリーの舞台でランチアの名声を甦らせる。とはいえ、ストラトスのように異次元の美しさと胸躍るサウンドを兼ね備え、観衆を惹きつける力を持つ車ではなかった。ストラトスは、ラリーカーとしてだけでなくロードカーとしても、様々な理由で人々の記憶に残るモデルであり続けている。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Richard Heseltine 

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