レストアの「素材」として切り刻まれたフェラーリの再評価|250GTピニンファリーナ・クーペ

フェラーリ250GT PFクーペ

フェラーリ250ピニンファリーナ・クーペは長いこと軽視されてきた。もっと貴重で有名なモデルのレプリカを作るための素材として多数が切り刻まれた。いわば蔑ろにされてきたのである。もちろん、今はそんな時代ではない。

軽んじられてきたフェラーリ
「フィーリング」という言葉は、たいてい表現しにくいものを表現しようとする時、あるいは説明がつかないものを説明しようとする際に使われる。ここで伝えたいのはある特別な場合、フェラーリ250GT、つまりフェラーリ用語で言うところの"ピニンファリーナ・クーペ"のエンジンを始動する時の、ワクワク浮き立つような感覚である。

行為そのものも単にエンジンを"かける"という言葉だけでは、どう考えても相応しくない。まず、燃料ポンプのスイッチをオンにして、カチカチという忙しない機械音がゆっくりになるまで待ち、続いてスロットルペダルを深く踏んでキャブレターにガスを送り込み、そこで一旦深呼吸。続いてキーを半回転させて押し込む、するとスターターが回る。そしてようやく12気筒が眠りから覚め、怒ったような叫びをあげるのだ。

それを何度聞いたかは問題ではない。"コロンボ"V12が息を吹き返す時はいつも必ず不思議な感慨に包まれる。きっとあなたはパブロフの犬のように反応するだろう。眼は大きく開き、歯を剥き出しにして、鳥肌が立つのを感じるはずである。実際、現代のフェラーリではこれほどドラマチックな印象を受けない。250ユニットには、人工的に増幅された音もフラットプレーンクランクの鈍いビートもない。これは音が織り成す最高のタペストリーである。

250GTクーペの存在
この車に特別な感情を抱く理由は他にもある。有難いことに、この華麗なフェラーリは切り詰められたり、分解されたりしていない。そう、隅々まで完璧にレストアされたこの車は、ひとつ間違えば希少なモデルのベース車になっていたかもしれないのだ。そうならなかったのは単に、英国で最も腕利きのレプリカ製作者だった前のオーナーが仕事から引退することを決めたからだった。つまり、あくまで相対的な話ではあるが、PFクーペは、フェラーリ王国においては"その他の車"に過ぎず、もっと希少な傑作モデルと多数の部品を共用しているといった理由だけで、苦難の歴史を経験してきたのである。

しかしながら時代は変わった。近年ではPFクーペを見る目は一変した。より貴重なモデルのドナーカーとしてではなく、この車そのものの価値が評価され、人気が高まっているのだ。また遅ればせながら、フェラーリの歴史におけるこのモデルの重要性についても知られるようになってきた。250GTヨーロッパを皮切りに、市販モデルを量産するという計画はPFクーペ以前から試みられてきた。ただしフェラーリにとっての量産とはもちろん他と比べて、という相対的な意味である。私たちがよく知っているように、エンツォ・フェラーリはロードカーにそれほど興味を持っていなかった。彼にとってロードカーは、レーシングチームの活動資金を確保する手段だった。しかし、1958年6月のミラノ・モーターショーに姿を見せた250GTクーペがすべてを変えてしまったのである。

編集翻訳:高平 高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA Words:Richard Heseltine Photography:Paul Harmer

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