エンジンから吹き出す炎と轟音! 蘇ったビースト「フィアットS76」への熱狂

フィアットS76 Photography:Matthew Howell (action), Stefan Marjoram (restoration)



ダンカンにさらに思いがけない幸運が訪れた。マグネトーのスペシャリストであるイタリア人のレオナルド・ソルディが、S76独自のトリプルスパーク・イグニッションを見つけ出し、レストアしてくれただけでなく、同じくS76独自のパーツである特別な雲母プラグを製作したのだ。

ダンカンはこのS76がオリジナルカーのレストアであると言い張るつもりはない。見つからないパーツも多数あり、これらを再製作する必要があったからだ。しかしレストアの様子を撮影した写真からもわかるように、ただの改造でもレプリカでもない。彼はこれまで10年間を費やして、残されたオリジナルのコンポーネントを収集・レストアし、欠けているパーツは工場図面の原本をもとに正確に製作した。結果として100%、正真正銘のフィアットS76が完成した。

たとえば塗装も困難だった。派手な赤でもなく、1930年代のアルファに見られるようなダークなプラムカラーでもなく、ぴったりと合った赤を何カ月も苦労して探した。偶然に出逢ったディビッド・ブラウン社製トラクターがヒントになって、最良のレッドが決まった。

ボディは微妙な曲率を広い範囲にわたって施す必要があるため、製作は非常に難しい作業になった。地元のエンジニア、ブルース・フレンドシップは、技術作業の大部分を引き受け、木型の製作においてもアーティストとしての素晴らしい才能を発揮し、完璧なシェイプに仕上げた。アウトウニオン・グランプリカーのボディ製作に携わったスチュアート・ローチは、ボンネット、ルーバー、アンダートレー、そしてS76の基本的な流線型部分を形成する、フロントアクスルをカバーするエアロブレードを手掛けた。

S76のフォルムは象のように見えるかもしれないが、当時の最新の空気力学における考えに基づいている。その幅はもっとも広い箇所でちょうど800mmと驚くほど狭く、スターティングハンドルの先端も前方へ向かって円錐状になっている。しかし大きなエンジンゆえに不格好になったスタイリングは、S76が後になってしばしば嘲笑されることとなった理由のひとつといえよう。

ダンカンは1925年3月13日付けの『Autocar』誌に掲載されたW.F.ブラッドリーが記した真実と異なる記事が、S76の運命を永遠に閉ざしてしまったと考えている。ブラッドリーの誤った中傷的な記述は、それ以降、何十年にもわたり繰り返された。偉大なジャーナリストであるビル・ボディも例外ではなかった。ダンカンは自分が調べたことを、2011年にビルが亡くなる少し前に直接見せることができた。「彼はとても興奮していました。そして彼の情報源がブラッドリーであったことを認め、それが間違いであったと話してくれたのです」

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.)Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:渡辺 千香子(CK Transcreations Ltd.)Translation:Chikako WATANABE (CK Transcreations Ltd.) Words:Mark Dixon 

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