桁違いの「じゃじゃ馬」デイトナはフェラーリ250GTOよりもレアな存在か?

Photography:Paul Harmer



1972年、73年、74年とル・マンでクラス優勝を果たしたのは、別に作られた8台のグループ4デイトナによるものだ。ファクトリーは先の15台以上は作らないと宣言していたため、社外のチームが市販モデルをコンバートして作り上げた。内訳は5台がキネッティのところで、それ以外は他のプライベートチームが手がけたものだが、ここに紹介するシャシーナンバー16717は、ベルギー、ブラッセルでフェラーリの認定輸入業者を営むエキューリ・フランコルシャンの手になるものである。というとちょっと不安になるかもしれないが、ファクトリーの息がかかっており、モデナから助力を得て製作されたと聞けば、まがい物でないことがわかるだろう。

1973年にチームオーナーのジャック・スウォーターに納車された車は、スポーティーと豪華さを兼ね備えた特別なオプションカラー"106.M.73"に塗られており(わかりやすくいえばメタリックブラウンだ)、室内はぜいたくなベージュの革装で快適なエアコンディショナーが備わっていたが、それらはすぐに撤去され、チームの伝統的カラーであるベルジャン・レーシング・イエローに塗り直された。そのあと当時のスポンサー、Luchard社の赤く太いストライプが入れられた。ペインティングと各種ステッカーが貼られた1975年ル・マン出場時の姿は、今もそのまま保たれている。

そのル・マンはこの車が遠征したレースの中では唯一コンペティティブに戦ったレースであり、総合で12位、GTクラスでは6位だったものの3.5リッターの中では最速だった。ドライバーのヒューゴ・デ・フィアラント、テディ・ピレット、ジャン-クロード・アンドリューの3人は結果に大満足だった。なぜなら、ピットストップから次のピットストップまで少なくとも20ラップは走らなければならないと定めたACOの新ルールを、燃料を大食いするV12エンジンでクリアできたからである。おかげで燃料を節約するために夜間は5速だけで走らなければならなかったので、大パワーの恩恵はあまりなかったのだが。 

まさに、じゃじゃ馬
車には最新の『ツアー・オート』誌に書いたティム・サムウェイズによる完璧なガイドが用意されていたが、そういうものがあること自体、この車が難物であることの証だ。案の定、デイトナはクラッチのつながりが容易でなく、かなり気むずかしかった。しかし何度か試すうち、ミートする直前にエンジンが発するうなり声の変化を聞き分けられるようになった。これでなんとか行けそうだ。もうひとつの問題は、1速に入れる際のゲートクランクがけっこう扱いにくいこと。ここにも注意を払わなければいけない。「途方もないパワーだぞ。車重は重いんだぞ。その割りにブレーキは小さいからな。3ラップくらいまではとくに注意しろよ」私は自分にこう言い聞かせて走り始めた。思い浮かぶものひとつひとつに注意を払いながら、40年前のエンジニア、ガエターノ・フロリーニと彼のチームメンバーに感謝した。今、こうして乗れるのはこの車の整備性がよいからなのだ。とはいえ、このデイトナは車高が高く、象のように重いのは事実だ。その大きさを逆手にとって利点として活かせないものだろうか。たしかに、ちょっとしたストレートを駆け下ったあとのコーナーをうまく曲がろうとするなら、充分に姿勢を整える必要があるが、それがうまくいってアペックスに向かってステアリングを切り始めれば、巨大なボディが外側のタイヤに負荷をかけることで強大なグリップを発揮させることができる。そこからスロットルを開けステアリングに注意しながらコーナー後半に臨めば、デイトナはその巨大さを一瞬忘れ、あたかも小柄な車であるかのように優美さを感じさせながらコーナーを回ってくれる。優れたメカニカルグリップと、リアタイヤを通じて感じる自然吸気12気筒エンジンならではの強大なパワーは、タイヤから持てる能力以上のものを引き出し、私を夢の世界に連れていってくれる。しかし、ときに思いもしない事態を引き起こすこともあるが……。

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words:Sam Hancock 

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