英国文化のアイコン・ランドローバー|ジープにも影響を与えた偉大なる約70年の歴史

ランドローバー



1951年型"LAC295"
この写真の2台はランドローバーの両極端を象徴している。もっとも年長なのは1951年のシリーズI80インチだ。すべてのランドローバーはこれらホイールベースのサイズで定義される。そして最近のモデルは生産最後を飾るヘリテージ90エディションだ。これらは内容こそまったく別物だが、どちらかでも所有しているなら、それは誇りだと思ってよいだろう。

ランドローバーはどのようにして実用的な伝説を築いてきたのだろうか。第二次世界大戦直後、ローバー社のチーフエンジニアだったモーリス・ウィルクスは、北ウェールズのアングルシー島に農場を所有し、そこをアメリカ軍放出のジープで駆け巡っていた。彼は、ジープの路を選ばない走破能力には満足していたが、退役車ゆえの終わりのない故障の続出と放出品市場からしか入手できない部品に辟易していた。モーリスの兄であるスペンサーは当時ローバー社の社長で、彼が弟に、草臥れたジープの後釜はどうするのかと尋ねた時、兄弟は瞬時に埋めるべき隙間があることに気づいた。ジープのような車こそ農夫が望んでいたもので、戦後復興のための輸出にも好適であると。さらには当時不足していた鋼板のかわりに、アルミで簡単にボディが架装できることも大きなアドバンテージだった。

当初、ローバー社はモーリスが"ランドーローバー"と名付けたプロトタイプで、トラクターのようなセントラル・ドライビングポジションを実験していた。しかしそれはすぐに却下され、生産モデルではステアリングとペダル類が簡単に左右に移動できる構造を持つレイアウトになった。モーリスとスペンサーが英国版ジープを造ろうと考えるのに時間はかからず、最初のプロダクションモデルがソリハル工場でラインアウトした。世界デビューは、準備が間に合わなかったためにジュネーヴ・ショーを断念し、数週間遅れの1948年 4月30日にアムステルダム・ショーで行われた。

編集翻訳:小石原 耕作 Transcreation:Kosaku KOISHIHARA Words:Mark Dixon Photography:Paul Harmer

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