ロウレンス・ポメロイの「ザ・グランプリカー」|AUTOMOBILIA 第3回

ザ・グランプリカー



リュッセルスハイム日記
学生で時間があり余っていたからか、はたまた、クルマに対する情熱に溢れていたからなのかはわからないが、一冊のCGを飽きもせず暗記するほど繰り返し読んでいた。一言一句がすっかり頭に入った頃には、一刻も早く次の号を入手したいとの気持ちが強くなり、発売日の数日前から神保町に近い二玄社の倉庫に通うようになる。二玄社の倉庫には発売日より前に、刷り上がったばかりのCGが届く。床に積み上げられた大量のCGのなかからできるだけきれいな一冊を選ぶのは、毎月訪れる至福の時間だった。

CGを特徴づけていたのは、独特なクルマそのものの記事のほかに、自動車望見、フロムインサイド、フロムアウトサイド、などのコラムだと思う。三本和彦さんによる、本土復帰に伴い通行帯の変わったばかりの沖縄を往訪した時のレポートなど、今も強く印象に残っている。

連載のなかでは、オペルにおられた児玉英雄さんによるリュッセルスハイム日記を毎月たのしみにしていた。1976年の7月号に掲載されたリュッセルスハイム日記は「HIDEO KODAMA AUTOMOBILELIBLARY」と題されたもの。それは青山通りから骨董通りに入る角のガソリンスタンド脇にあった嶋田洋書に足しげく通っていた身には、とりわけ興味深い内容だった。

そのなかの一節が目に焼きついた。その部分を抜き書きしてみよう。「これだけ紙の山が増えても欲しい本はまだ数多くあるのですが、そのいくつかはすでに絶版となってしまって、こうなると手に入れるのも仲々難しいのです。"ロウレンス・ポメロイの「ザ・グランプリカー」ねー、何しろ車の好きな連中は読んだからってすぐには売りとばさないし、終生大切に持ってるから"とロンドンの古本屋の親爺がいうとおり手に入れるのは難しいのですが、これも自分を振り返ってみれば十分納得できるのです。」

特に気になったのは"「ザ・グランプリカー」ねー、"の「ねー」の部分。ただの「ね」ではなく、長嘆息気味に「ねー」とのびている。この「ねー」に、ひょっとしたら、との念が重なった。

ロウレンス・ポメロイのザ・グランプリカー
大切に持ち帰ったできたてのCGを、注意深く、紙に癖がつかないようにそっと小さく開いて読む。こうなるとCGは宗教の経典のようですらある。集中しているからか、即座に暗記するほど文章が頭に入ってくる。そこにこの「ねー」である。ロウレンス・ポメロイ、ザ・グランプリカー、これらの語を目にした次の瞬間、わたしは自室の押し入れに向かって走っていた。

目当ては押し入れの奥深くにしまいこんだ一冊の本。確信はなかったのだが、取り出してみると、やはりそれはロウレンス・ポメロイによるザ・グランプリカーで、しかも1949年に刊行された初版であった。

文、写真:板谷熊太郎 Words and Photos:Kumataro ITAYA

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