ポルシェがたった一台製作した901のカブリオレ・プロトタイプ

Photography:Paul Harmer



歴史を振り返る場合、356とは違って901がクーペとして発表されたことに注目すべきである。実は1960年代には356のコンバーチブルモデルの売れ行きが落ち込み、1964年までには全体の16.9%に留まっていたという。より高価な901の発表に向けてポルシェは製造コストをできるだけ抑えなければならなかった。それゆえカブリオレ仕様は想定されなかったのだ。

それにもかかわらず、ポルシェのマーケティング部門はオープンカーを諦めてはいなかった。アメリカではコンバーチブルのブームが起きていると伝えられていたからなおさらである。フェリー・ポルシェの甥であり、ドイツにおける販売部門の責任者であったハラルト・ワグナーはソフトトップ・モデルの開発を画策し、コーチビルダーのカルマンにプロトタイプ製作を依頼することにした。そして屋根を切り取り、モノコックボディに補強材を追加したシャシーナンバー13360がツッフェンハウゼン工場からカルマンに送られた。しかし、ほとんどのポルシェ・エンジニアにとってその出来栄えは満足できるものではなかったという。

901のボディ設計の責任者だったウォルフガング・アイブによれば、「オープンとクーペの両方を考える時、まずオープンモデルを作り、それをベースにしてクローズドバージョンを開発する。ところが901の基本構造はクーペだけを想定していた。本当は逆のことをしなければならなかったのだが、それはできなかったんだ」という。

結局、ポルシェが行きついた答えが「タルガ」である。「タルガ」とは言うまでもなくシシリー島の公道レース「タルガ・フローリオ」での栄光にちなんだ名前だが、ロードゴーイングのオープントップモデルにつけるネーミングとしてはちょっと強引にも感じられる。ところが、ある販売会議でケルンのディーラーからやって来たワルター・フランツという男が「タルガ」という思い付きを投げかけた。マーケティング通のワグナーは、タルガはイタリア語の"盾"であり、それは転倒に対する安全性や強靭さを示唆すると考えた。こうして今に伝わる安全なオープン・モータリングの新しい呼び名が生まれたのである。

編集翻訳:高平 高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA Words:Robert Coucher 

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