史上最も美しい車のひとつ「アストンマーティンDB4GTザガート」が真のサラブレッドである理由

アストンマーティンDB4GT ザガート

史上もっとも美しい車の一台、アストンマーティンDB4GTザガート。ジュネーヴ・ショーで発表されて以来50年の月日が流れた今、この車を再びホームグラウンドで走らせる。

一般的にクラシックカーの価値は、美しさ、希少性、ヒストリー(レースカーなら戦績)、この三つの要素によって決まる。フェラーリ250GTOがもっとも人気を誇る車の1台であるのは、この三要素すべてにおいて高く評価されているためである。フェラーリ250GT SWBは、GTOよりも生産台数が多いものの、美しさとレースヒストリーでは高い評価がつけられている。アストンマーティンDB4GTザガートもまた、誰もが欲しがるクラシックカーの1台だ。美しく、希少価値が高いが、レースでの成績は期待されたほど芳しくはなかった。

DB4GTザガートは、幾度か好成績を残したものの、トップクラスには届かなかった。これはタイミングの悪さに起因している。SWBにも、その発展型として次に登場したGTOにも、重量と先進性の点でかなわなかった。しかし、実際にこの車を見てワインディングロードを走ってみれば、その魅力の虜になることは間違いない。この史上もっとも美しいクラシックカーの1台、アストンマーティンDB4GTザガートは生誕50周年を迎えた。

真っ赤なDB4GTザガートのヒストリー
私たちが取材したこのDB4GT/0178/L(Lは左はハンドルを示す)は、オリジナルのフェラーリ風レッドに塗装されており、かなりオリジナルに近いコンディションを保っている。1961年3月8日に完成した当時は、2トーンカラーの塗装だったとの記録が残っているが、実際はプレーンなレッドで納車されたようだ。記録によれば、これは4台目のザガートで、ロードテストとアストンのサービス部門による品質保証がされた後、シャシーのみでザガートに送られた。

完成後にスイスのエージェント(Hubert Pattheyの名がある)に輸送された後、この車はローザンヌのムッシュ・エディ・コーテジーに売却されたが、納車を前にしてDB4GTザガートを丁寧に仕上げ、アストンマーティンに代わって1961年のジュネーヴ・モーターショーに出展した。

当時もっとも人気があったジャガーXK150Sが2000ポンドであった時代に、裕福なムッシュ・コーテジーはこのザガートに5470ポンドを支払った。ジュネーヴ・ショーの2カ月後、ザガートはベルギーのスパ・フランコルシャンでレースデビューを果たし、順位は不明だが、完走を果たしている。ムッシュ・コーテジーはレースでザガートにいささか無理を強いたようで、レースの3日後、ファクトリーでボディワークの修理が行われ、同時にエンジンの圧縮比が上げられている。

記録ではその後、後にベルンの警察署長となる男子学生に売却されている。彼はスイスだけでなくニューヨークにも家があり、DB4GTザガートはSCCAイベントへの参戦を目的としてニューヨークへと送られた。しかし、レース出場は実現することなく、1962年、ザガートは4000ドルでニュートン・デヴィスへ、その後マサチューセッツのクリス・マレーへと売れた。マレーはエンジン、トランスミッション、そしてブレーキを修理し、オリジナルカラーに合ったアクリルレッドに再塗装した。その後にオーナーとなったキース・レヴィン医師は、アストンに戻して内装をブラックレザーに張り替えさせた。1972年、カリフォルニアのジェリー・ローゼンストックが購入した際の走行距離は、わずか2万8000kmだった。彼はさまざまなコンクールにザガートを出展し、アメリカのクラブサーキットイベントにもエントリーした。

この"0178"が歩んできた歴史は実に変化に富んでありながら、そのヒストリーが明確に残っている。この記録簿の保存状態のよさ、少ない総走行距離という好条件が揃ったこのDB4GTは、カロッツェリア・ザガートによって造られたわずか19台の中で最も価値の高い車となっている。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:渡辺 千香子(CK Transcreations Ltd.) Translation:Chikako WATANABE (CK Transcreations Ltd.) Words:Robert Coucher Photography:Paul Harmer

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