ポール・スミスが語る「ローバー社とのコラボ」と「最愛のクラシック車との出合い」

ファッションデザイナーのサー・ポール・スミスはスタイリッシュな車を常に気にしている。伝統的英国車に"ひねり"を加える件、ブリストル405を溺愛している件について話を聞いた。

編集翻訳:小石原 耕作 Transcreation:Kosaku KOISHIHARA Words:Dale Drinnon Photography:Martyn Goddard

ひねりのあるクラシック
サー・ポール・スミスが、「自分は車については何も知らない素人なのだ」と言うのはおそらくは正直な気持ちの表れなのだろう。彼がプロデュースした車が飾られることになった、RAC王立自動車クラブのレセプションホールには選ばれた車だけが置かれるが、すでにそこにあった3.0CSLがBMWであることがサー・ポールにはわかってはいなかったのだ。それどころか毎日の通勤に使っている車さえ、それが何なのかわかっていない場合がある。しかし一旦興味が湧けば、そのスマートなドイツ製クーペの周りをゆっくりと歩き、観察を始める。彼の洞察力はその車の賞賛されるべきポイントを的確に見抜く。「デザインに於ける美学を持つ車が好きだ」と彼はいう。「美しいフォルムを持つ車や流線型。そして現代のものよりは1950年代のベントレー・コンティネンタルやジャガーEタイプのような、クラシックと呼ばれる車に魅了される傾向があるんだ」と。

このコメントから覗えるように、好みはいささか英国車に偏重気味だがそれも偶然の一致ではない。これこそが、彼を英国における最も評価の高いファッションデザイナーのひとりにし続けている哲学なのである。今やファッションのバイブルであるヴォーグ誌はポール・スミスレーベルを「クラシックなブリティッシュテーラリングおよびブリティッシュスタイルの代名詞」と評している。

サー・ポールが彼流のデザインアプローチについて語るインタビューは、旨い珈琲とともに、独特のユーモアを交えた寛いだ雰囲気で終始した。車について知るために彼は何をし、そして何をしなかったのか。彼自身のデザインによる、トラディショナルなドクターコート風の袖口をもつブルーのシングルブレスト2ボタンのウールスーツをなでつけながら「単純なことだが、クラシックなブリティッシュスタイルがきなのだよ」といい、にやりと笑ってジャケットの前を開いて派手な玉虫色のライニングを見せながら続けた。「そして時々それに少々のひねりを効かすのがね」

彼は心底ファッションに嵌まったなと友人たちはいう。10代の頃の目標はプロのサイクリストだった。しかし17歳の時に衝突事故に遭って長い闘病生活を余儀なくされたことが転機となった。1970年24歳のとき、地元ノッティンガムで彼は最初のショップを開いたが、そこは窓のない2階で階段もなく、12フィート四方の、やけに広い部屋だった。「あれは本当に店といえるようなものではなかった。単なる部屋であって、週末だけ開けていたんだ」しかし間もなく"ひねりの効いたクラシック"なファッションが、爆発的に当たった。

現在、サー・ポールはミラノから東京まで約300の小売り拠点を持ち、彼の顧客リストにはロックスター、フットボールプレーヤーそして英国の首相までもが名を連ねる。2000年に、その業績によりファッションデザイナーとしては二人目のナイトの称号を授与されているが、その事には一切触れなかった。世の中の、悪い意味でのステレオタイプな"ファッションデザイナー・セレブリティ"からはもっとも遠いタイプの人だ。彼はまた控えめにではあるが、彼のすべての会社がまだ独立を保っていること、いまだにノッティンガムに本部を置いていることをとても誇りにしている。

運命のブリストル
仕事のためにしょっちゅう車で移動していた若い頃、高速で地方に移動できる車がポールには必要だった。1970年代にはポルシェにのめりこんだ。また冬のマンチェスターへの旅行では、FRP製ボディにフォードの3リッターエンジンを積んだ高速スポーツワゴン、リライアント・シミターでクラッシュもした。「思い出すよ。あたり一面の吹雪のなかで側溝に落ち、ミルクシェイクマシンの中にいるようだった。カセットテープのデイビッド・ボウイが流れる中で1960年のVWコンバーチブルを1500ポンドで買って足にしていた。そして1981年のクリスマスに、運命の車と巡り会う。彼のワーカホリックは周知のことだ。朝は常に一番にオフィスに入り、最後に退社していた。めずらしく休憩を取っていたその日、借りてきたブリストル・オーナーズクラブの会報の売買欄で1956年のヴィンテージ、405サルーンに目がとまった。「そのモデルは前から知っていた。そいつが小さなテールフィンをもった古い航空機みたいなスタイリングで、航空機の空気取り入れ口みたいなラジエターグリルをもっているところが気に入ったのさ」

すぐに友人の車屋に電話をしたものの、実はその車に関しては一切の知識を持っていなかった。ただひと言「こいつを見に行って、いいと思ったら買って来てくれないか」と。その友人はポールのために、オリジナルのブリストル2リッターエンジンを積んだ総アルミボディの巨大な4ドアサルーンを買ってきた。ポールはその後、このビジネスマンズエクスプレスと異名をとる405を、ロンドンへの往復だけでなく、ノッティンガム本社での会議、工場まわりにいたるまで、ほとんど毎日使用した。「皆が普通の車でやるようにガンガン使ったよ。そして駐車は常に野天。ガレージがなかったんだ」徐々にトラブルが頻発し始めた90年代初め、彼は一旦ワークスに送ってレストアし、そしてその後はまた以前のように毎日使った。当時の問題のひとつは、そのころ引っ越したばかりだったロンドンのオフィスのパーキングスペースが、歴代のブリストル中唯一の巨大な4ドアモデルには小さすぎたことだった。405には依然としてガレージは与えられなかった。ブリストルは現在、ノッティンガム本社で保管され、同じく車のエンスージアストであるファイナンス・ダイレクターのジェームズ・ホーズリーが注意深く管理している。

近くで眺めてみれば、なぜポールが405に傾倒したかが理解できる。流れるようなボディラインを別にしても、どんなデザインのプロも納得してしまう卓越した機能的ディテールを持つ。車への参入が比較的遅い、元来航空機メーカーだったブリストルには、伝統的な老舗のカーメーカーにはない、最新の技術を勇敢に取り入れる風土がある。それゆえ、その時点での最新技術は可能なかぎり取り入れられるが、機能に関係のない箇所までもいたずらにモダン化するようなことはしない。だから車全体のマナーはどこまでも完全なクラシックブリテンである。古いブリストルはスプリントレースで勝つことはないけれど、実用面ではこれと同時期または後に作られた他の車と同じように、長い距離を粛々と無限に延ばして行くことができる。フルレストレーションから20数年が経過した405は、特にコクピットが円熟した好ましい雰囲気になり、ポールは、そのインテリアが、まるで彼の着用している"いい感じでよれた"ジーンズのようだと気に入ってやり直しを許さなかった。メーター上の"実走行距離"は7200マイルだが、もちろん何周かしているだろう。ドアポケットに「ブリストル2リッター405型取り扱い説明書」が残っていたことはラッキーだった。それにはブリストル社のテレグラフアドレスである"Aviation"が記載されていて、おかげで工場に連絡をとることができたのだ。


サー・ポール最愛のブリストル405と彼がミニの40周年記念にデザインした2台のスペシャルミニ、および最新のランドローバー・ディフェンダーのためのアートワーク

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