コレクター垂涎のフェラーリとポルシェの「ミニカー」|AUTOMOBILIA 第4回

Photos:Kumataro ITAYA

洋の東西を問わず、子供から大人まで広く愛されているミニカー。今回はオートモビリア(自動車関連蒐集対象物)として捉えたモデルカーの話。普段何気なく使っているミニカーやモデルカーといった言葉、ここではまずその語彙を明確にするところから始めてみたい。

大人からも愛される存在
本稿の初回でもふれたように、ミニカーやスケールモデルは、オートモビリア(自動車関連蒐集対象物)の中核をなすアイテムのひとつである。英国の宰相で貴族中の貴族としても知られるウィンストン・チャーチルがミニカーを蒐集していたことも、その回で書いた通り。

現在でもデパートなどにあるトミカの売り場で、子供たちよりもお父さん方が熱中している様子をみると、ついうれしくなってしまう。小さな子の通う歯医者や、病院の小児科などにミニカーが置かれているのはよくあること。それらのなかにレアなものが混じっていて、付き添いで来たはずの親が熱心に看護婦さんを口説き、困らせている場面に遭遇したこともある。お茶に誘われるのではなく、備品のミニカーを所望されるのには、さすがの看護婦さんも慣れていないらしく、かなり困惑した様子だった。

わたしがこれまでで最も驚いたのは、意外な場所でモデルカーを見かけた時。意外な場所とは、宮内庁の侍従次長室である。その方はもう既に退官されているが、在職中にうかがった際、少なくない台数のモデルカーがゆったりとした侍従次長室のあちらこちらに置かれているのを眺めることができた。天皇家の方々もクルマがお嫌いではない、と耳にしたこともあるので、皇居や東宮御所の奥に、ひっそりと飾られているモデルカーがあるのかもしれない。

文化と言葉
文化と言葉には密接な関係がある。昔から魚を食しているわれわれは、魚の種類をそれぞれの名前とともに記憶している。なかには、ぶりやしゃけのように、育ち方や大きさで名称の変わるものまである。魚を食さない文化圏では、どれも、さかな、の一語で片付けられてしまうことだろう。

鳥を除く肉食に馴染みのなかったわれわれとて同様。かしわ(鳥肉)以外の肉に対する固有の名詞を持たない。豚や牛を肉の前につけ、豚肉、牛肉などと呼んで区別するのがやっと。ビーフやポークに対応する固有の日本語はない。まして、牛肉や豚肉の部位ともなるとお手上げ状態に近く、フランスのように細かな部位名が浸透するのには、もう少し時間がかかるかもしれない。

クルマも似たような状況にある。セダン、リムジン、クーペ、スパイダー、カブリオレ、等々、どれも馬車時代の名残が感じられる名称だが、対応する日本古来の言葉はない。食肉としての牛などと同様、クルマも外来のものだということを、今更ながらに再認識させられる。

ただし、牛肉とクルマには大きな違いがある。それは、牛肉はどちらかといえば嗜好品。好きか嫌いかが反映される範疇のもの。ひとたび気に入られれば、言葉が広まるのも早い。われわれが牛食に目覚めたのは明治時代。それなのに、今やサーロインやヒレ、神戸牛や松坂牛などの言葉が、普通に使われるようになっている。

対するクルマには道具という色彩が強い。走れば何でもよい、がまかり通ってしまう。これで残念なのは映画の世界。

文、写真:板谷熊太郎 Words and Photos:Kumataro ITAYA

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