アレックス・モールトンを偲ぶ|JACK Yamaguchi's AUTO SPEAK Vol.8

2001年。左からMGFハイドラガス、最後のミニADO15新ラバースプリング、ミニGMR135Dハイドラガス、MG1300ハイドロラスティック

「来ました、乗りました、征服されました」と、キザながら、目の前のローマ帝国元老院議員より神々しく見えた方にそう言上した。部下にギリシャ神のニックネームで呼ばれた偉大な技術者は、「グフフッ」とお笑いになったようだが、正統英語「お気に入ってなによりです」が返ってきた。

サー・アレキサンダー・コンスタンティン・"アレック"・イシゴニスに会う幸運に恵まれたのは1962年秋であった。発表直後のイシゴニス式横置きエンジン前輪駆動の第2弾、ADO16"1100"に試乗した帰途、モーリス・カウリー開発部門(オースティン系ロングブリッジが本拠)に来ていたイシゴニスに会えたのだ。

試乗に同行した身長2メートル近い『デイリーメール』の紙デイヴィド・ベンソンが楽々収まる室内の広さ、オックスフォード郊外の小高い丘でのオフロードの乗り心地、屈折したB級路の操安性にいたく感銘を受けた。第二次大戦機雷掃海で負傷し全盲になったケン・レヴィス広報部員が口頭でコース案内をしてくれたのも記憶を鮮明にした。

蒸気機関を好んだモールトン
1959年発表のBMC・ADO15"ミニ"から、ローバー期のローバー100に至る複数車種が採用したユニークなサスペンションを考案・開発したのが、この回想記の主人公、アレックス・モールトンである。2012年に92歳で没するまで、40年間の旧友、教師であった。

モールトンはイシゴニス全盛期の盟友であった。彼のもう一種の有名な作品は、"モールトン"小径輪自転車で、私が初めて見たのは1962年、グッドウッド・サーキットのパドックでオフィシャルたちが乗り回していたシリーズ1であった。

アレクサンダー・エリック・"アレックス"・モールトンは、1920年4月、ウィルトシャー州ブラッドフォード・オン・エイヴォンの英ゴム部品会社創業者家系に生れた。第一次大戦後の大不況で家計が逼迫し、亡父と叔父の母校であるイートン(高校に相当)は断念し、マールボロウ高校に学んだ。「工学を志していた私にとっては、願ってもない進路だった。偉大な蒸気機関車設計者、サー・ナイジェル・グリスリーを先輩として仰げる」とアレックスは語っていた。

15歳のアレックスは、蒸気機関こそ陸の交通動力の主流と信じ、蒸気自動車専門誌に論文を投稿した。みごと採用され掲載になると、彼は中古小型車のGNシャシーを入手、格安中古蒸気エンジンとボイラーを組み付け、実家荘園内の実走を果たした。

ケンブリッジ大学工学部時代には、中古のオースティン・セヴン・スピーディを買い、レースにも出た。アレックスが2年生の1939年、第二次世界大戦が勃発。多くの学生が入隊を志願したが、彼も空軍を志望した。しかし操縦できるのは自動車、二輪車とカヤックくらい。即軍務ではなく、技術将校候補として待機せよと命じられたのは、イギリスの余裕か。

モールトン、ブリストルで航空機エンジンに携わる
せめて航空技術の知識を得ようと、英上流階級の常である伝を使い、ブリストル航空機会社エンジン部長ロイ・フェデンに直訴した。偉大なる航空エンジン設計者フェデンは即座に面接を許した。家業がブリストルに重要ゴム部品を供給していたのも助けとなったとは、あとで知ったとのこと。

開発実験部門でのアレックスの精進はめざましかった。フィンランドに配備した爆撃機群がマーキュリー・エンジン寒冷始動の問題で出動が止まっていたのを解決したのは、アレックスの蒸気機関知識を応用した燃料霧化装置であった。彼は航空エンジン開発の要員として、軍務免除となる。

1940年9月25日白昼、独空軍ハインケル111爆撃機大編隊がブリストル工場を襲った。100余人の犠牲者のひとりが、開発最中の最強力エンジン空冷星型18気筒"セントーラス"担当のチーフエンジニア直属アシスタント、エイドリアン・スクアイアであった。戦前高性能高級スポーツカー、"スクアイア"を開発製作した技術者起業家であった。フェデンはアレックス・モールトンを後任に起用した。

アレックスの技術哲学は、アイデア、対象物のスケッチ、計算、そして簡略な記述である。彼はキーボードには触れず、手持ちの計算器を用い、手書きする。彼のブリストル期のイエローノート(紙の色)は非常に興味があるが、今回は割愛せざるをえない。

大戦の勝利を目前にした1942年、ブリストル航空機社役員会は、突然ロイ・フェデンを解雇した。彼が英帝国騎士サー称号を受勲したことが社主の気に障ったというのがアレックスの推測だ。


チーエンジニア直属セントーラス担アシスントのエイドリアン・スクアイアは、戦前、超高級高性能スポーツカー、スクアイアを開発、少数製作した。独空軍のブリストル空襲で死去し、モールトンが後任となる。1935年スクアイア(photoWikiBuch01)

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文、写真:山口京一 Words and Photos:Jack YAMAGUCHIVol.

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