まるで凍結保存されたような「バイヨンフェラーリ250GTスパイダー」をレストアすべきか否か

Photography: Evan Klein

何十年もしまい込まれた屋敷の納屋から引き出され、オークションで1640万ユーロもの値段がついたフェラーリ。それがバイヨンフェラーリ250GT SWBスパイダー・カリフォルニアだ。納屋から引き出される顛末はオクタン日本版9号に掲載した。これはその続編である。

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テストドライブがいつも予定通りにいくわけではないが、この車の場合はいかにも特別だった。レストアされていない元バイヨン・コレクションのフェラーリ250GT SWBスパイダー・カリフォルニアに乗った後、私は思い描いていたよりずっと多くのことを考えさせられることになった。

250GTスパイダー・カリフォルニアは、言うまでもなく自動車史に残る傑作のひとつである。1958年から1963年の間に、ロングホイールベース仕様(1960年までに50台生産)と、ショートホイールベース仕様が54台造られたのみである。元バイヨン・コレクションのスパイダーのシャシーナンバーは"2935GT"で、1961年秋に生産され、パリサロンに展示された。ムシュー・バイヨンが手に入れるまでに、何人かのパリ在住のオーナーの下にあったが、その中には映画スターのアラン・ドロンも含まれていたという。フランスの片田舎の納屋で雑誌の山に埋もれた姿はオクタン英国版の表紙を飾った。

世紀の大発見
物置や納屋から発見された掘り出し物を"Barn Find"(バーン・ファインド)と言うが、このフェラーリは、今や今世紀最大の発見、「バーン・ファインド・オブ・ザ・センチュリー」として一躍有名になり、レトロモビルで開催されたアールキュリアル・オークションにおいて1640万ユーロもの価格で落札された。有名なレストア・スペシャリストであるポール・ラッセルがそのフェラーリを知ったのもパリでだった。ポールはペブルビーチで栄冠を勝ち取ったこともあるレストアラーである。「オークションに出品される前に、たまたまその場に居合わせた。人々が列をなしていたために、車を見るのはオークション後まで待たなければならなかった。暗い場所でライトに照らされたフェラーリはまるで霊廟の中に安置されているようだった。状態は酷く、トランクには大きな凹みがあった」

そのオークションの一週間後、ポールにまったく予期しない電話がかかってきた。フェラーリを隅々まで検分してほしいという依頼だった。"2935GT"が米国東海岸の彼のファクトリーに到着した際の要請は、「路上走行可能な状態にすること。ただしそれ以外はどこにも、それこそ埃や泥にさえも一切手を付けず、そのままにしておく」というものだった。

改めて仔細にチェックしてみると、このフェラーリは以前に塗り変えられており、部分的に錆も見られた。インテリアはビニールで張り替えられており、またバンパーもオリジナルではなかった。幌のフレームも出来はよかったが、元々の部品ではなかったという。「外観についてはだいたい予想通りだった。だが、驚いたことに、エンジンフードを開けてみると、クランプやホースなど、メンテナンスの際に交換されるはずの細かな部品がすべてオリジナル品だった。もちろんすべて恐ろしく古びており、酷い状態だったけれど」とポールは言う。

ひとつずつ慎重にチェックする作業には数週間を要したという。まずバルブカバーを外し、続いてキャブレターを分解。エンジンをオイル漬けにして2週間置いた後、クランクを手でゆっくりと回してみた。この時、バルブの開閉を含め、各部品が正しく動くかどうかをチェックするためにカバーは外したままだ。燃料系統もすべて分解、洗浄され、トランスミッションやサスペンションも念入りに検査された。ブレーキの油圧系はすべてオーバーホールが必要だった。

すべての部品を元通りに組み上げ、エンジンを長い眠りから目覚めさせ、辺りの通りをひと回りして各部が問題なく働くことを確認。さらに50マイルほどテストドライブして再チェックした後、アメリカでのお披露目のためにカリフォルニアに送り出された。ペブルビーチでの"フェラーリ・プリザベーション・クラス"という最高の檜舞台に上るためである。

オークションでの買い手の代表者は、ジュネーヴを本拠とするブローカー、キッドストン SAのサイモン・キッドストンだった。彼の仕事は、コレクターにヒストリーとオリジナリティー、本質的価値を重視して長期的視点に立った世界的コレクションを築くための助言を行うことである。「私たちは、ずっと前からあのフェラーリについて知っており、2009年から動向を追いかけていました。したがって他の入札者がヒストリーを調べ始めた時には、はるかに先んじていたのです。どんなに有名なフェラーリ研究家でも、あの車が存在することを知らなかったのです」とサイモンは語る。「あの車がペブルビーチに姿を現し、バイヨン家の人々の目の前で走り出した時、彼らは泣いていました。走行距離はわずか9099kmですから、それまで一度も動く姿を見たことがなかったのです。実に感動的な瞬間でした」



編集翻訳:高平高輝 Transcreation: Koki TAKAHIRA Words: Winston Goodfellow 

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