ダットサン"フェアレディ"240Zは欧米からどう評価されたか? 創造神話をめぐる論考

1973年ダットサン240Z(Photography:Paul Harmer)



本稿を読んで感じたこと
英国版オクタンに掲載されたこの記事は、英国人にとって日本のヒストリックカーがどれだけミステリアスな存在なのかを思い知らされる内容であった。それは、いかに日本の情報が正しく海外に伝えられていないという事実だった。言語の問題も大きいが、日本のクラシックモデルが欧米で認知されてから日が浅いため、正確な情報が絶対的に不足していることがわかる。

この記事に掲載したものは、英文からの正確な翻訳ではないことを、まずお断りする。そこには多くの誤解が記されていたことが理由で、全体の文意は変えぬように、明らかに誤っている記述を訂正し、補足を加えている。これが本誌の"編集翻訳"の意図だ。

原文は、「世界中で優れたクラシックカーとして高く評価されているダットサン240Zは、日本人だけの力で造られたものでない」という論調ともいえた。それだけなら、読み物として面白いので、そのまま掲載することに躊躇はない。

だが看過できないものもあった。顕著なものでは、日産のスタイリング・コンサルタントであった、ドイツ人デザイナーのアルブレヒト・ゲルツが、スタイリングの完成に大きく寄与したという記述に少なからぬ行数を費やしていたことだ。これは修正を加えた。また、その6気筒エンジンはダイムラー・ベンツの設計をルーツとするという記述もあったが、これは明らかに間違いのため削除した。

ゲルツの記述に関して、おそらく元著者は、ゲルツの生涯と作品を記した書籍『You’ve got to be lucky』を主な情報源としているのだろうと思えた。彼はBMWを辞した後、日本に渡り日産(ヤマハとのスポーツカー計画を含む)で仕事を始めた経緯から、欧米では1965年発表の初代シルビアと1969年の240Zのデザインにはゲルツの息が掛かっていると認識されているからだ。

本文中に「1980年、日産はこの事実を部分的に認めた」とあるが、その根拠は、当時の日産の担当部署からゲルツ当てに送付された1980年11月14日付けの手紙であろう。

そこには、「240Zのデザインは、日産のデザインスタッフの作品であるというのが私たちの見解です。その一方で、あの車をデザインした社員が、当社のために貴殿が作ってくださった素晴らしい作品に感化され、貴殿のデザインから恩恵を賜ったことに異存はありません」と書かれていた、この手紙によってゲルツは軟化したといわれる。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:渡辺 千香子(CK Transcreations Ltd.) Translation:Chikako WATANABE (CK Transcreations Ltd.) Words:Stephen Bayley Photography:Paul Harmer

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