なぜ半分だけレストア? 「美術品」や「遺跡発掘品」として扱われたアルファロメオの奇跡の保存状態

完成後のSZザガート。(Photography:Archivio Zagato-Carrstudio)



進化の痕跡
多くのプロトタイプと同様に、この車と最終形との間には、数々の小さな違いがある。シャシーナンバー00170のテールには、量産モデルのSZコーダ・トロンカのテールに見られる"段差"も、エグゾーストの形状に合わせてテールの下側部分にあしらわれた曲線もない。リアナンバープレートライトも1個のみである。シャシー自体とボディを支えるチューブラー構造だけでなく、ドアパネルとドアハンドルの位置にも、コーダ・トンダからコーダ・トロンカへ変換する際の「切り貼り」が顕著に見られる。

"00170"は、さまざまな改良を終えるとすぐさまレースに参戦した。ステアリングを握ったのは、エリオ・ザガート自身のほか、カルロ・ファチェッティ、そしてアルビーノ・ブティッキだった。

「レース歴の全容についてはまだ不明な点があるのです」と、ディ・タラントは語る。「最初に造られた車はすべて白色に塗装が施され、レース出場の時には車両間で簡単に付け替えが可能な"Prova(仮)"のナンバープレートがつけられていました。それぞれの車のディテールは異なっていましたから、現在さらに詳しい調査を行ってザガート、ファチェッティ、ブティッキがレースに参戦した正確な順序を追跡しているところです」

エリオ・ザガートはこの車について「興味深いプロジェクト」と表現している。一方、当時発行されていたイタリアの雑誌では「勝利を呼ぶ兵器」といったフレーズが連ねられていた。レース、そして可能な限りのさらなる改良を終えると、車は所有者であるアルファロメオへと返却され、その後、中古車としてラ・スペツィアのドライバー、アルビーノ・ブティッキへ売却された。彼はエリオ・ザガートの親しい友人であり、1961年のイタリア国内選手権1.3リッタークラスの優勝者であった。

アルビーノ・ブティッキへ売却された時点から、車の行方は分からなくなった。アメリカで再び存在が確認されたのは、2014年11月のことで、ここからヒストリーが次第に明らかになっていった。ディ・タラントはこう語る。

「車の中で見つけたいくつかのステッカーによって確認できたことは、1962年から1963年にかけて、ニューイングランドにあるアルファロメオのディーラーシップ、ガストン・アンドレーにあったということです。アンドレー自身もSZザガートを心の底から愛するドライバーでした」

その2年後、車はドイツ生まれの医者であり、レースやスポーツカー、そしてオペラを愛してやまないペンシルバニアに住むアーミン・ラウダの手に渡った。

「ラウダ氏は、エンジンとトランスミッション、サスペンション、ブレーキドラム、アップグレードされたディスクブレーキ、オリジナルのナンバーが付いたザガートのボディーパーツなど、それは素晴らしいレース用スペアパーツ一式とともに購入しましたが、これらには一切使用された痕跡がありませんでした。2014年、私たちがこの車を初めて目にしたとき、50年の時を経てすべてがそこにあったことは、本当に信じられないことでした」

こうして、暗く、しかし幸運にも湿気のないガレージでマイケル・ローウェン(「マイケルズ・モーターカー」のオーナー兼ザガート・レーシングチーム・スクーデリアスポーツのテクニカルコンサルタント)が発見した"00170"は、そのヒストリーに新たな章を書き加えることになった。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO(Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:渡辺千香子(CK Transcreations Ltd.) Translation:Chikako WATANABE (CK Transcreations Ltd.) Words:Massimo Delbo Photography:Archivio Zagato-Carrstudio

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