あのスーパーカーが壁に激突! カウンタック・プロトティーポの秘蔵クラッシュテスト写真

クラッシュテスト!(archive images:Giles Chapman)

ジュネーヴ・ショーで衝撃的なデビューを果たしたカウンタック・プロトティーポは、市販に向けたテストカーとして使われたのち、硬く分厚いコンクリートの壁にクラッシュして果てた。

1971年、ジュネーヴ・モーターショーで披露された、ランボルギーニ・カウンタックのコンセプトモデル"LP500"のデザインはただただ衝撃的だった。それから46年という月日が流れても、当時の写真(画像ギャラリーページ1枚目)は、今なお新鮮に映る。たった一台の車が多くの子供たちを永遠の車好きにしてしまった。

そんなLP500ショーカーはもう存在しない。唯一のショーカーがクラッシュテストに供され、その残骸の行方すら分かっていない。もし発見されれば、今世紀の自動車史上における最大のニュースとなることはまちがいない。個人的には、ミラノあたりの高層ビルの鉄骨の一部としてリサイクルされたのではないかと推測している。今回、本記事に掲載するLP500の写真は、現存する数少ない資料写真からの選りすぐりとなっている。

当時、ランボルギーニは新興スポーツカーメーカーながら、ミウラで大成功を収めていた。しかし、ミウラの走行安定性をマイナーチェンジで進化させるのは創業者、フェルッチオ・ランボルギーニらしくなかったのだろう。"プロジェクト112"というコードネームで1970年代始めにスタートしたカウンタックの開発は、あくまでも少数精鋭だった。ミウラのチーフエンジニアを務めた、ジャンパオロ・ダラーラはすでにランボルギーニ社を去っていたので、34歳の若きパオロ・スタンツァーニがチーフエンジニアならびに工場長を兼務。ミウラに引き続きテストドライバーを務めたのは、鉄の心臓を持つニュージーランド人、ボブ・ウォーレスだった。フェルッチオから開発チームへのオーダーは唯一、「ベルトーネに引き続きデザインを委ねること」だった。

カウンタックはそもそも市販するつもりだったか否かと問われれば、ノーでもあり、イエスでもある。1965年に発表したミウラも当初はシャシーのみのコンセプトモデルで、マルチェロ・ガンディーニがボディデザインを手がけてから需要が高まり、市販を"余儀なくされた"と記したほうが正しいだろう。

プロジェクト112のスケジュールも特に決められていなかったが、1971年にはジュネーヴ・モーターショーでコンセプトカーを発表する運びとなった。ミウラで浮彫となった高速安定性の不足を改善するために、エンジンを横置きから縦置きに改め、トランスミッションをエンジン前方に配置しシフトフィールを改善させる試みもなされた。

編集翻訳:古賀貴司(自動車王国) Transcreation:Takashi KOGA(carkingdom) Words and archive images:Giles Chapman

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