あのスーパーカーが壁に激突! カウンタック・プロトティーポの秘蔵クラッシュテスト写真

クラッシュテスト!(archive images:Giles Chapman)



1974年6月、MIRAの衝突実験場に到着したのは真っ赤に塗られたプロトタイプだ。それは1971年にジュネーヴショーで披露されたLP500を改良、テストし続けた車両であった。30mph(48km/h)の前面衝突実験をクリアすることが、この頃のホモロゲーションのための要件であった。衝突実験のためにLP500は台車に載せられ、無数のストロボとカメラが待ち受ける分厚いコンクリートの壁をめがけてワイヤーで引き寄せられる。衝突実験はランボルギーニの開発陣にとっては、プロジェクト112開発における最終仕上げのようなものと同時に、一台しか存在しないLP500、最期の瞬間でもある。

V12サウンドを轟かせることなく、静かに30mphまで加速するLP500。金属が潰れる鈍い音とともに一瞬でLP500は最期を迎えた。MIRAのイギリス人職員、ランボルギーニ開発陣、そして『Autocar』誌のテクニカルエディター、マイケル・スカーレットがコンクリートに激突したLP500を覘き込んだ。フロントノーズは19インチ(483mm)潰れていたが、車内のステアリングコラムは0.54インチ(14mm)しかドライバーに近づいていなかった。当時の基準値は5インチ(127mm)だったので、優秀とさえ評価された。フロントウィンドウは無傷で、両サイドのドアも難なく開けられた。衝突安全実験は優秀な成績を収めた。

しかし、思い出して欲しい。これはあくまでもLP500であって、市販車ではないということを…。この事実は前出のスカーレットがまとめた報告書にも出てこない。

「ランボルギーニ社は、偽ったのです」と振り返るのは、当時の『Autocar』誌編集長だったレイ・ハットンだ。市販車であるLP400のスペースフレームは1日あたり1台分しか造ることができず、1台当たりのコストが1万6314ポンド(当時のスペースフレームでは最高額)だったことを考慮すれば、ランボルギーニに新車のLP400を潰す余裕はなかったのだろう。ランボルギーニに詳しい歴史家のピーター・コルトリンは次のように語っている。

「ワンオフのLP500でも安全性が実証できたなら、もっと優れた生産技術で送り出されるLP400の心配をする必要はないと考えたのだろう」おおらかな時代だったのだ。

一説によると潰れたLP500は1975年まで、ランボルギーニ本社の片隅に置かれていたそうだ。しかし、その後の行方は分かっていない。LP500ほどエポックメイキングなランボルギーニがいくら衝突実験に用いられた車両だとしても、廃棄されたりするとは思えない。筆者は、どこぞの倉庫に眠っているのではないかと、歴史的発見のニュースを今も心待ちにしている。

編集翻訳:古賀貴司(自動車王国) Transcreation:Takashi KOGA(carkingdom) Words and archive images:Giles Chapman

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