フェラーリの「跳ね馬マーク」誕生秘話にもつながる万年筆|AUTOMOBILIA 第5回

バラッカ=フェラーリの万年筆|AUTOMOBILIA 第5回(Photos:Kumataro ITAYA)

文明と終焉 あるいは 文化と永続性
いきなりの堅い話で恐縮なのだが、文明とは、文化にまで昇華されない限り、終焉に向かうものと考えている。歴史で習ったように、古来さまざまな文明が生じてきたが、文明と名のつくものは、ことごとく終焉を迎えている。

もっと身近な例で考えてみよう。たとえば携帯電話の普及によって、腕時計、カメラ、そして筆記具の様相に変化がみられる。時を知るには携帯電話があれば充分なので、時計を身につけることが少なくなった、携帯の普及で、誰もが気楽に写真を撮るようになった、携帯をかざして撮影する姿は、今やどこでも見られる日常である。そして筆記具。年賀状も携帯から一斉送信する、あるいはSNSの普及で、メールですら億劫になっている感がある。このように、携帯電話の普及は、単なる道具としての時計やカメラ、そして筆記具を、絶滅危惧種にしてしまった。

その一方で、単なる道具を超えた、機械式時計や銀塩カメラ、そして今回採りあげる万年筆は、携帯電話が普及したことにより、かえって存在感を際立たせている。文明の利器としての時計やカメラ、そして筆記具は、より高度化した文明の利器の登場により駆逐される運命にあるが、文化の域にまで達しているような、機械式時計、銀塩カメラ、そして万年筆は、いかに文明が進化しようとも、輝きを失うことなく、更に魅力が増しているように感じられてならない。

文明の利器として登場し、更なる文明の発達により衰退、ところが文化的解釈によってまた息をふきかえす。万年筆や機械式時計などの辿ったこうした過程や、文明が文化に昇華される条件などについては本稿の主旨から少し外れるので、いずれ機会があれば、あらためて詳述させていただきたい。

バラッカ フェラーリ そして蛇足ながらヤーノ
フェラーリの好きな方にとって、第一次大戦時に活躍したイタリアのエースパイロット、フランチェスコ・バラッカの名は馴染み深いものかもしれない。今回採りあげる万年筆は、そのフランチェスコ・バラッカを記念したモデルである。ここで簡単にバラッカとフェラーリの因縁についておさらいしておこう。

文、写真:板谷熊太郎 Words and Photos:Kumataro ITAYA

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