シェルビー・コブラCSX2000|史上最も崇拝される伝説的スポーツカーの起源

コブラ"CSX2000"伝説のはじまり(Photography:Pawel Litwinski and Darin Schnabel)

シェルビー・コブラよりも崇拝されるスポーツカーが他にどれだけあるだろうか。しかもそこには必ず始まりがある。ウィントストン・グッドフェローが"伝説の起源そのもの"に試乗した。

自動車の歴史において最も重要な車は何かという課題は、どのような観点から見ようと厄介な問題だ。特に自分にとって魅力的かどうかという条件を入れると、いつまで経っても答えが出てこない。たとえば、T型フォードが20世紀末に「カー・オブ・ザ・センチュリー」に選出されたことにまったく異論はないが、その偉大な歴史的意義をもってしても、貴重な価値があるとは言えない。なにしろ1500万台以上も作られたからだ。

では、歴史的な名車とそれ以外を分けるものは何か、また偉大なブランドと単なるコレクターズアイテムを区別するものは何か。真正であると認められたかどうかが、議論の良いきっかけではないだろうか。真に伝説的な車はあらゆることがひとつに集まり、世の中に徐々に浸透するようにして生まれるように見える。その最高の例がこのコブラである。これぞ、シェルビーのすべて、そして影響を受けたすべての車の出発点である。

自分を疑わなかった男
物語は1961年、キャロル・シェルビーが38歳の時に始まる。その2年前にはアストン・マーティンに乗ってル・マン24時間レースで優勝したにもかかわらず、ツキに見放された元レーシングドライバーの養鶏屋は、地元の食堂ではコーヒー一杯さえ奢って貰えないほど知られていなかった。キャロル・シェルビーの名前に何の価値もなかったのである。

それでも彼は自分自身の車を造るという夢を諦めたことはなかった。「もしアントレプレナー(起業家)の定義があったとしたら、それはキャロル・シェルビーのことだ」と言うのはキャロルの孫であり、相談相手でもあったアーロン・シェルビーだ。

「彼はまったく失敗を恐れなかった。"朝、私を街角に裸で放り出してくれれば、夕方までにはスーツを身につけて、誰かにステーキを奢ってもらっているさ"とよく口にしていた」


「レーシングドライバーだった頃にはいつも、いつか自分の車を造るためにはどうすればいいかを探していた」とキャロルは2010年に私に語ってくれたことがある。特にアストン・マーティン・チームにいた頃だ。「当時はコーリン・チャプマンやエリック・ブロードレイなど、英国でバックヤード・ビルダーが頭角を現していた。彼らはそれほど巨額の資金を持って、いや使っていないように見えた」

シェルビーの故郷であるテキサスはスポーツカーやスポーツカー・レースについては遅れた土地でだった。心臓の持病のせいで1960年にドライバーを引退すると、彼は南カリフォルニアに移住し、ホットロッダーであるディーン・ムーンのサンタフェ・スプリングスの工場の裏手にショップを開いた。その後、彼はグッドイヤーの西海岸の代理店となり、アメリカで最初の高性能車ドライビングスクールを開き、有名な『スポーツカー・グラフィック』誌のコンサルティングエディターを務め、そして依然として自分の車を造ることを切望していた。

編集翻訳:高平高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA Words:Winston Goodfellow Photography:Pawel Litwinski and Darin Schnabel

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