シェルビー・コブラCSX2000|史上最も崇拝される伝説的スポーツカーの起源

コブラ"CSX2000"伝説のはじまり(Photography:Pawel Litwinski and Darin Schnabel)



"うまくいく"とは、ごく控えめな言葉だったことが後に分かる。『ロード&トラック』のショー・リポートは次のように伝えている。「すべての眼はACコブラに集まった。市販されればスポーツカーの世界を席巻するだろう」ACコブラはまるでカテゴリー5の巨大ハリケーンのような反響を巻き起こしたのである。

オーダー受付が始まる頃になると、『ロード&トラック』や『スポーツカー・グラフィック』をはじめとする自動車誌がこぞってCSX2000をテストした。そのパフォーマンスは驚くべきものだった。『R&T』の試乗記事によれば、コブラ・プロトタイプは60mph加速を4.2秒、100mphを10.8秒、クォーターマイルは13.8秒で走り抜け、最高速は153mph(245km/h)に達した。「速さに関する限り、コブラは世界中のほぼすべてのスポーツカーを上回っている」と同誌は結論付けた。

ムーンから借りたスペースは手狭になり、シェルビー・アメリカンはヴェニスにある元スカラブのファクトリーに移転し、大急ぎでコブラの開発・生産を立ち上げることになった。その頃にはCSX2000の役割はほぼ終わり、工場の片隅に追いやられていた。

キャロルはそれを売るどころか、いつ塗ったか定かではないブルーの塗装にも事実上手を付けずに保管していた。最初のコブラはキャロルの大半の資産とともに信託基金に組み込まれ、過去20年の間、CSX2000はラスヴェガスのシェルビー・アメリカンにひっそりと置かれていたのである。

「保管されていたのは奇跡的かもしれない」と、長年彼のやり方を見てきたアーロンは語る。「金の問題ではなく、彼はそういうものを取っておかない性格なんだ」

宝石が売りに出た理由
シェルビーの伝説の中の宝石と言っても大げさではないモデルゆえに、CSX2000は誰かが買えるような種類の車ではないとずっと信じていた。だからRMのモントレー・オークションに出品されると聞いた時の私は心底驚いた。さらに信じられないことには、その車を運転してもいいという。長年夢見て来たのはそのパフォーマンスを体験したいからではない。というのも、古い車を素晴らしいコンディションに保つのはキャロルの関心事ではなかったからだ。それよりも、このコブラそのものが象徴するあらゆることを考えてみてほしい。

ここで冒頭の問題に戻る。0-60mphを10秒足らずでこなせば"速い"と言われていたあの時代に、4秒そこそこで加速する車がどれほどの衝撃を与えただろうか。その後の衝撃波の広がりも言うまでもない。CSX2000が生まれなければ、260/289コブラも生まれず、デイトナ・クーペも存在しなかった。当然、SCCAやUSRRC、さらにFIA世界選手権シリーズでの活躍もなく、NHRAとAHRAドラッグレーシングでの興奮も生まれなかったのである。

すべてはこの車が源流である。「1960年代初頭にはスポーツカー・レースに対する関心はまったくなかった」と語るのは、コブラ・デイトナ・クーペのデザイナーだったピート・ブロックである。「多くの人にとって、レースとはインディアナポリスに出かけることだった。1963年にUSRRCシリーズがスタートして、我々がGMに戦いを挑んだ時に、人々は初めてこれは素晴らしいことだと気が付いたのだ」

編集翻訳:高平高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA Words:Winston Goodfellow Photography:Pawel Litwinski and Darin Schnabel

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